カクキューが岡崎電灯を支援

2017年9月ようかに岩津水力発電所にいってきたとこで、ことし2020年1月17日の中部経済新聞に「カクキューが岡崎電灯を支援」っていう記事をみた。岩津水力発電所は、中部電力で現存する最古でしかも最小の水力発電所で、前身の岡崎電灯が建設しとるだけど、ほの岡崎電灯をカクキューが支援しただげな。電気事業っていう当時最先端の事業に、伝統産業であるみそづくりのカクキューが支援したってのがおもしろい。西三河最大の都市、岡崎が一丸となって近代化にとりくんだってわけだ。

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合資会社八丁みそ(屋号:カクキュー)19代早川久右衛門(はやかわきゅうえもん)
岡崎電灯を支援
電気の将来性みこして賛同
16代久右衛門は、産業エネルギーとしての電気の将来性をみこして電動設備の導入にふみきったが、じもとの電力会社「岡崎電灯」を資金面や経営面で支援したひとでもあった。
明治、大正期には、全国各地で電力会社が設立された。あたらしいなみは岡崎にもおしよせ、1895年、電信技師の大岡正がやってきた。全国をあるきまわり、発電事業の重要性をといたひとだった。
まっさきに賛意をしめしたのは、呉服太物商(ごふくふとものしょう)沢津屋の2代杉浦銀蔵だった。西洋諸国の産業革命についての知識があり、繊維産業の機械化や鉄道開通のために奔走しておったからだ。
協力者をもとめると、丸藤旅館主の田中功平醸造業をいとなむ伊勢屋店主の近藤重三郎がくわわり、3氏は銀蔵が所有する水車を利用して、水力発電の実験を開始した。
だが、落差が不十分なことから実験は失敗。そこで、水量が豊富で落差のある急流をさがし、市街地から16キロはなれた奥殿村(おくとのむら)滝脇に適地をみつけると、反対する村民を説得して実験を開始した。
失敗をくりかえし、金融機関が融資に難色をしめしたため、銀蔵は土地、家財を抵当にして資金をつくり、1896年、「岡崎電灯合資会社」を設立した
かずかずの困難と長距離送電にたいする不安をのりこえ、1897年、岩津発電所の開業にこぎつけることができたものの、そのつぎには市内に電線路をはりめぐらすしごとがまっておった。
3氏の財力はつきておったが、事業に賛同した16代早川久右衛門の支援によって架線工事をぶじすすめることができた。
愛知県下はつの電力会社である名古屋電灯がくにの支援をえて発足したのにくらべ、岡崎電灯はこのように民間のてでつくりあげられた。
1899年10月、2代杉浦銀蔵はこころざしなかばでこのよをさり、3代杉浦銀蔵があとをついだ。1907年にはかぶしき会社組織に変更し、初代とりしまりやくには3代杉浦銀蔵、田中功平、近藤重三郎の3氏、監査役には16代早川久右衛門が就任した。
当社の資料室は、事業をひきついだ3代杉浦銀蔵に関する資料を多数所蔵しておる。
2020年1月17日 - 中部経済新聞
2020.1.17 中部経済新聞 - カクキューが岡崎電灯を支援 730-1710

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(さんこう)