上挙母駅のホーム配線のうつりかわり - 新実守さん寄贈資料から

2021.2.2 (48-2) 新実守さん寄贈 - 上挙母 (2-2) 1130-700

2021年2月ふつか、豊田市近代の産業とくらし発見館で開催中の挙母駅開業100年展にいって、新実守さん寄贈の『上挙母(うわごろも)』っていう資料から、このえきのホーム配線のうつりかわりをしった。

◇            ◇

資料はつぎのとおり。

挙母

1920年8月31日開業

  • 1920年8月31日に開業した駅舎が、まんだ、一線でかつやくしとる長寿のえきである。
  • 1927年4月16日、三河鉄道は岡崎電気軌道(岡崎市内線および郡部線の井田~門立間)と合併し、1929年12月18日、岡崎線(のちの挙母線)上挙母三河岩脇間6.4キロが開通。岡崎電気軌道と合併した郡部線と三河岩脇でむすび、挙母~岡崎ルートを確立した。
  • 挙母駅は変則的なしまホームの2面4線であった。1番線が貨物線、2番線が挙母線の着発線、3番線がのぼり線、4番線がくだり線。1961年に貨物営業が廃止されるとホームを拡巾して2面3線にし、挙母線をなか線(2番線)にして、左右ともドアをあけ、のぼり列車(1番線)およびくだり列車(3番線)ののりかえきゃくの便をはかった。また、土橋かたに名鉄ではめずらしい三枝分岐器を挿入した。
  • 1973年3月よっか、挙母線が廃止されると1面2線のしまホームになり現在にいたっとる。

(新実守さん寄贈資料)

なるほど、ようわかった。このえきは三河線から挙母線が分岐するえきで、貨物営業もあっただけど、ほの時代は2面4線だった。三河線上下線のしましきホームにはらづけするかたちで、挙母線1線と貨物線1線のしましきホームがあっただ。ほれが貨物営業がなくなって、2面3線になった。これは、三河線上下線のあいだに挙母線1線をだきこむかたちだって、挙母線から三河線へののりかえは、上下線のどっちにも、おりたホームむかいがわでできるっていう便利さだっただ。おれが、廃止まぎわに挙母線にのりにいったときのホーム配線がこれだって、ずいぶん感心したもんだ。さらにほれが、挙母線が廃止になって、三河線上下線だけのしましきホームになって、いまにつづいとる。

資料に4枚の写真。

2021.2.2 (47-1) 新実守さん寄贈 - 上挙母 (1-1) 1130-800
△ 写真1

2021.2.2 (47-2) 新実守さん寄贈 - 上挙母 (1-2) 1180-680
△ 写真2

2021.2.2 (48-1) 新実守さん寄贈 - 上挙母 (2-1) 1110-760
△ 写真3

2021.2.2 (48-2) 新実守さん寄贈 - 上挙母 (2-2) 1130-700
△ 写真4

この4枚めの写真こそが2面3線時代のもんだ。いまのしましきホームは、きっとこのひだりがわのしましきホーム1面だけをのこしてつかっとるもんにちがいない。

2021.2.2 (47) 新実守さん寄贈 - 上挙母 (1) 1130-1660 2021.2.2 (48) 新実守さん寄贈 - 上挙母 (2) 1080-1580

◇            ◇

(さんこう)