2021年7月15日、安土城にのぼった。
〔現地まで〕〔安土城〕[地図][乗車記録]
◇ ◇
現地まで
ふるいのわがやから名鉄電車をのりついで、名古屋にとうちゃく。
新幹線にのりかえ。新大阪いきひかり号にのる。
みぎ車窓に伊吹山をみて、近江のくににはいる。
米原で在来線にのりかえ。3番のりばしゅっぱつの加古川いきふつうにのる。はいってきた電車は10両編成で、まえよりは先頭クハ221-5の221系電車。運転士さんはおんなの運転士さん。しろい電車にあおい制服のおんなの運転士さん。さわやかなくみあわせだ。座席は、ちゃいろの転換クロスシート。
広大な線路群をぬけて、しろい鉄骨トラス橋で矢倉川をわたる。
彦根に停車。ここで米原いき新快速のはいいろ電車とすれちがい。さいしんがたの225系電車だ。
ガーダー橋で芹川をわたる。近江鉄道の単線もひだりにさようなら。
ガーダー橋で犬上川をわたる。鉄骨ぐみ架線柱のうつくしいこと。
河瀬に停車。おとうさんとおとこのこがかぶりつきにやってきて、助手席がわの特等席をゆずる。じぶんは運転席がわに移動。
ガーダー橋で宇曽川をわたる。
稲枝に停車。
ガーダー橋で愛知川(えちがわ)をわたる。
能登川に停車。
ひだり曲線で、はいいろの223系電車とすれちがい。
たんぼんなか、こやまにむかっていく。
やまのくびれのとこで、腰越山トンネルをくぐる。ひだりのおおきいほうのやまは繖山(きぬがさやま)。みぎのちいさいほうのやまが安土山。安土城のあるやまだ。
みぎ車窓に安土山。
安土は3番のりばにとうちゃく。
のってきた電車をみおくり。うしろよりは、はいいろの223系電車だった。
安土城
安土はかいさつをでて、まず、観光案内所ではなしをきいて資料を入手。つづいて、えきまえにあったみせでかしじてんしゃをかりる。3時間700円。
えきまえから下街道(しもかいどう)をとおって、まちをぬけていく。
百々橋(どどばし)をわたって安土城。はしをわたったつきあたりにきゅうないしだんがあるだけど、こっからはのぼれませんっていうことわりがき。
やまのしたをみぎにまわっていって、ひだりに石塁。こっからのぼっていけるだ。
ちょっとさかをあがったとこにいりぐちを発見。拝観料700円をはらってはいる。つえも用意してあって、かりていく。
いりぐちからまっすぐうえにのびるおおてみち。おおきな石材でつくったほねぶとのいしだんが、ずーっとうえまでつづいていく。ふつうのいしだんとちがって、おおまたでよっこらしょよっこらしょってのぼっていかにゃいかん。つえがいるはずだ。とちゅうひかげでやすみをとったりしながら、あせをかきかきあがっていく。
うえまでいきついて、左折。
いしだんはまんだつづく。みぎにおれ、ひだりにおれしながら、いしだんはつづく。
まんだまんだつづく。
ひだりにおれてあらわれたひらばにほっとひといき。
みぎT字を右折しておくにすすむ。
右折して、またいしだんをあがっていく。
ひだりにおれて、いしがきのあいさからいしだんをあがって、みぎかねんてになかにはいっていく。
このかねんてのとこが黒金門(くろがねもん)。こっからがいよいよ城内だ。
いしがきをひだりにそってひらばをすすんで、左折。
左右をいしがきにはさまれたいしだんをあがっていく。
おどりばで左折して、またいしだんをあがっていく。
ひだりのいしだんのうえに「二の丸」の文字をみて、あがっていく。
二の丸のおくに、がっちりしたいしぐみでかこわれた一角がある。
いしぐみのきれめに門があって、なかをのぞいてみると、「織田信長公菩提」ってかいてある。安土城に信長のはかがあるとはしらんかった。てをあわせておまいり。
二の丸をおりて、はんたいがわにいく。左右をいしがきにはさまれたひらばをいく。
ほのまま本丸にとうちゃく。
説明がきをよんでみると、天皇のすまいである内裏清涼殿(だいりせいりょうでん)と非常によくにたたてもんがたっとったっていう。天皇行幸のために信長が用意した御殿だったじゃないかとのこと。
本丸おくのいしだんをのぼる。
左折してすすんで、また、いしだんをのぼる。
まわりがあかるくなって、天主台にとうちゃく。ここが安土山のてっぺんだ。
説明がきをよんでみる。ここに地下1階、地上6階の壮麗な天主がたっとっただ。いまたっとるとこは地下1階部分だっていう。天主台この2倍半のひろさがあるだけど、いしがき上部の崩壊がはげしくてほの規模をめでたしかめることはできんとのこと。また、全国にある高層天守のしゅっぱつてんがこの安土城天主だったとのこと。
崩壊がはげしいっていういしがき上部にあがって、おくに琵琶湖をみはらす。ここにくるまでどっこもみはらすことはできんかった。ひだり45度、田園風景のむこうに琵琶湖がひろがる。ほのむこうは、比良山地からつづくやまやま。
正面も田園風景のむこうに琵琶湖がひろがるだけど、田園風景のなかにはばのひろい水路がみえる。むかしのみずうみのなごりらしい。安土城ができた当時、しろは琵琶湖に面しとったとのこと。
みぎ30度、田園風景のずーっとみぎに荒神山(こうじんやま)もみえる。彦根市の区域にある荒神山だ。こんな位置関係になるのか。
ずーっとおりていって、つきあたりT字を右折。きたのはひだりからきただけど、みぎにおれてべつのみちをおりていくだ。さいしょはひらばをいく。
いしだんをのぼる。
みちのみぎがわ、総見寺(そうけんじ)本堂あとから西の湖(にしのこ)をみはらす。やなみがきしべまでせまるすてきな光景だ。むかしはこのみずうみも琵琶湖の一部だった。
くだりにはいって、ひだりに総見寺(そうけんじ)三重塔。
いしだんをおりていく。
総見寺(そうけんじ)二王門をくぐっていく。
ひだりにおりかえして、やますそをあるいていくとこで、たんぼんなかを京都方面に電車がいく。
おおてみちにもどるてまえ、ひだりに羽柴秀吉邸。臣下のやしきっていうと、やまをおりたとこにあるのがふつうだっておもっとっただけど、おおてみちに面したこんなやまの斜面にあるだ。
説明がきをよんでみる。上下2段にわかれたくるわに邸宅やうまやがあって、それぞれにりっぱな門があったとのこと。
おおてみちをちょこっとくだって、いりぐちからそとにでる。
◇ ◇
かしじてんしゃで下街道をもどる。とちゅう、ひるごはんがたべれるてきとうなみせをみつけることもできんまま、安土のえきにとうちゃく。予定より1時間はよかえったことで、200円もどってくる。
えきのかいさつをはいって電車をまっとるとこで、さきにはんたい線3番のりばに加古川いきふつうがはいってくる。いきにのったのとおんなじ、まえよりが221系、うしろよりが223系の10両編成の電車だ。やっぱりこの221系のしろい電車がはなやかでいい。
さて、1番のりばにはいってきた米原いきふつうにのる。電車はなんと223系の12両編成。
にしぐちにでて、たい風ラーメンでひるごはん。このみせ、こいで2回めになるだけど、なんだかうまい。
えきにもどって、かえりの新幹線。近江のくにをあとにする。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2021年7月15日、もくようび、平日
- ふるい 8:17 → (名鉄西尾線=しんあんじょういきふつう) → 8:26 しんあんじょう
〔5.7km、9分、38.0km/h〕 - しんあんじょう 8:28 → (名鉄名古屋本線=須ケ口いき特急) → 8:55 名古屋
〔29.7km、27分、66.0km/h、ふるいから名古屋まで680円〕 - 名古屋 9:19 → (東海道新幹線=新大阪いきひかり号) → 9:47 米原
〔66.2km、28分、141.9km/h、3,100円(乗車料金1,340円+新幹線自由席料金1,760円)〕
(※ 乗車料金は名古屋から安土までとおしだと220円たかくなるで、米原でいったんかいさつをでる) - 米原 9:59 → (琵琶湖線=加古川いきふつう) → 10:22 安土
〔24.9km、23分、65.0km/h、420円〕 - 安土 12:56 → (琵琶湖線=米原いきふつう) → 13:19 米原
〔24.9km、23分、65.0km/h、420円〕
- ふるい 8:17 → (名鉄西尾線=しんあんじょういきふつう) → 8:26 しんあんじょう
- 安土城羽柴秀吉邸 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/07/17
- 安土城天主台 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/07/17
- 安土城本丸 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/07/17
- 安土城黒金門 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/07/17
- 加古川いきふつう - 2021年7月15日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/07/15
- たい風ラーメン|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年7月15日
- たんぼのむこうを電車がいく|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年7月15日
- 総見寺二王門|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年7月15日
- 総見寺三重塔|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年7月15日
- 西の湖(にしのこ)をみはらす|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年7月15日
- 安土城天守から琵琶湖をのぞむ|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年7月15日
- 織田信長公菩提所におまいり|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年7月15日
- いしだん、いしだん、いしだん|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年7月15日
- しろいトラス橋|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年7月15日
- 加古川いきふつう|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年7月15日
- 安土城 - ヰキペディア
- 安土城は織田信長によって現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接しとった(大中湖)。地下1階地上6階建てで、天主の高さがおよそ32メートル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されとる。総奉行は丹羽長秀、普請奉行に木村高重、大工棟梁には岡部又右衛門、縄張奉行には羽柴秀吉、石奉行には西尾吉次、小沢六郎三郎、吉田平内、大西某、瓦奉行には小川祐忠、堀部佐内、青山助一があたった。
- この安土城を築城した目的は岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「上杉謙信への警戒のため」などと推察されとる。城郭の規模、容姿は、太田牛一や宣教師の記述にあるように天下布武(信長の天下統一事業)を象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の天主に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住しとったとされる。
- 1582年、家臣明智光秀による信長への謀反(本能寺の変)の后まもなくして何らかの原因によって焼失し、その后廃城となり、現在は石垣などの一部の遺構を残すのみだが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることができる。
- 日本の城の歴史という観点からは、安土城は六角氏の観音寺城を見本に総石垣で普請された城郭であり初めて石垣に天守の上がる城となった。ここで培われた築城技術が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となった。そして普請を手がけたとの由緒を持つ石垣職人集団「穴太衆」はその后、全国的に城の石垣普請に携わり、石垣を使った城は全国に広がっていった、という点でも重要である。
- 城郭遺構は安土山の全体に分布しており、当時の建築物では仁王門と三重塔が、現在 城山の中腹に所在する摠見寺の境内に残っとる。また二の丸には信長の霊廟が置かれとる。
- 滋賀県は1989年から20年にわたって安土城の発掘調査を実施した。南山麓から本丸へ続く大手道、通路に接して築造された伝羽柴秀吉邸や伝前田利家邸、天皇行幸を目的に建設したとみられる内裏の清涼殿を模した本丸御殿などの当時の状況が明らかとなり、併せて石段・石垣が修復工事された。調査は当初予定通り2008年度の予算をもって2009年に終了した。20年間で調査が実施されたのは史跡指定面積のおよそ20%(17ヘクタール)にとどまったが滋賀県の財政事情から事業継続には至らず、全域の調査(50年から100年必要とされる)は将来にゆだねられることとなった。
- 1576年1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、近江守護六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。
- 1579年5月、完成した天主に信長が移り住む。同年頃に、落雷により本丸が焼失したと、ルイス・フロイスが著書『日本史』に記している。
- 1582年5月15日には明智光秀が饗応役となった徳川家康の接待が行われとる。同月1582年5月29日の京都本能寺に信長が光秀の謀反により自害した本能寺の変の際は蒲生賢秀が留守居役として在城しとったが、信長の自害后に蒲生賢秀・氏郷父子は本拠地日野城に信長の妻子などを安土城から移動させ退去。その后、明智軍が安土城を占拠した。山崎の戦いで光秀が敗れた后、天主とその周辺の建物(主に本丸)が焼失した。焼失の経緯や理由については諸説あるが不明である。
- 本能寺の変以降もしばらく織田氏の居城として、信長の嫡孫秀信が清洲会議の后入城するなどと、主に二の丸を中心に機能しとった。しかし、秀吉の養子豊臣秀次の八幡山城築城のため、1585年をもって廃城されたと伝わっとる。
- 織田信長の安土城址と総見寺|公式ホームページ
- 遠景山総見寺は、臨済宗妙心寺派の寺院である。安土城築城(1576年)の際、信長公が他所より移築し自らの菩提寺とした。信長の死后、1854年、火災により本堂などを焼失。今は礎石のみが三重の塔の北側に遺る。1932年、仮本堂が伝徳川家康邸跡に建てられ、現在に到っとる。信長公所用の鉄鍔、陣羽織が伝えられとる。不定期ではあるが、主に土・日曜日や祝日に特別拝観(抹茶付)を実施しとる。
- 安土山の中腹にある三重の塔は、三間三重で室町時代の1454年に建立された。国の重要文化財に指定される。
- 国の重要文化財である二王門も室町時代の建立で、信長公の命で甲賀から移築された。門内に安置される金剛力士像も同じく国の重要文化財。
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