2021年10月いつか、近江長岡から東海道線旧線あとをたずねてきた。
〔名鉄と新幹線で米原まで〕 〔東海道線旧線あとをたずねる〕 [近江長岡のへんの東海道線の経路のうつりかわりの地図] 〔特急しらさぎで柏原おおまがりをたしかめながらかえる〕 [乗車記録] |
◇ ◇
名鉄と新幹線で米原まで
ふるい7時ちょうどのしんあんじょういきふつうにのる。電車は、かんつうがたのあっかい電車。乗客はたちきゃく7わりで、この時間にしちゃあすいとる。
みなみあんじょうで西尾いき急行のぎんいろ電車とすれちがい。
7時10分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。3番のりばでしゅっぱつまちしとる、岐阜いきふつうのあっかい電車はみおくり。橋上コンコースをのぼりおりするかいだんがこんどって、ダッシュしてものりかえれたかどうか。つぎの弥富いき急行にのることにして、ゆっくり3番のりばに移動。
3番のりばにしんあんじょう7時20分の弥富いき急行がはいってきて、まちあい。電車は、4両編成かんつうがたのあっかい電車。むかいの4番のりばを岐阜いき快速特急がかけぬけていったあと、うしろに2両編成鉄仮面のあっかい電車を連結。連結の瞬間は、さきにとまっとったまえ4両がほんのちょこっとうしろにさがって連結。
さて、6両編成になって、しんあんじょうをしゅっぱつ。
にしにすすんで、伊奈いき準急のあっかい電車とすれちがい。
はんたい線におる豊橋いき特急のパノラマスーパーをみながら、知立は5番のりばにとうちゃく。7時24分。
のってきた電車をみおくり。岐阜いき快速特急がくるまで、まち。名鉄ネット予約サービスで知立から特別乗車券がとってあって、ほれがくるまでまちだ。
こせんきょうをのぼりおりして、いったんかいさつをでる。いや、しんあんじょうのかいだんもせばかったけど、知立のかいだんもせばいのはかわらんな。りょうほうとも根本的にのりばのはばがせばいだ。えきまえでたむろするひとたちにまじって、いっぷく。えきにはこういうとこがなきゃ。
かいさつをはいりなおして5番のりばにもどったとこで、岐阜いきふつうのぎんいろ電車をみおくり。西尾線からのりいれてきた電車で、ほんとはふるいからこれにのってきて、これからのる岐阜いき快速特急にのりかえや時間のむだがなかった。
さて、知立7時42分の岐阜いき快速特急がはいってきて、のりこむ。電車はパノラマスーパーで、しんがりの特別車1号車3Aの展望席にすわってしゅっぱつ。うしろむきにみて、まえから3列めのひだりまどがわの席になるだけど、しっかりひざしがはいってきて、カーテンをしめていく。うしろむきにでもけしきをみていきたかったけど、あきらめ。展望室の席は満席。着席通勤の需要はおおきい。
ところで、速度がおっそい。ひるまの時間帯なら時速120キロでかっとんでいく名鉄電車だけど、なんだかのろのろ運行だ。いつも、しんあんじょう8時35分の岐阜いき特急がおっそいな~っておもって不満だっただけど、この電車もおっそい。あさの通勤時間帯はなんぼんか電車をはしらせにゃいかん関係で、こういう現象がおこっとるのか。
神宮前に停車。ミュースカイとでっくわす。
金山に停車。乗客が半減。ここで地下鉄にのりかえて栄にいくながれがおおきいだ。
トンネルにもぐるてまえで、ひだり、常滑いきふつうのあっかい電車とすれちがい。同時に、みぎ、東海道線のステンレス電車ともすれちがい。
トンネルにもぐって、8時8分、名古屋にとうちゃく。
新幹線にのりかえ。名古屋8時20分の新大阪いきひかり号にのる。1号車から5号車まである自由席のうち、5号車10Eのみぎ2席まどがわにすわっていく。
しゅっぱつしてじき、みぎ車窓に清洲城。
愛知県から岐阜県にはいって、新幹線とおんなじたかさの高架をやってきた、きんぎょばちのあっかい電車とすれちがい。
すぐに岐阜羽島に停車。まちあいのあと、しゅっぱつ。
8時48分、米原にとうちゃく。いったんかいさつをでる。
東海道線旧線あとをたずねる
米原は、在来線かいさつをはいったとこで構内放送。減便のおしらせ。まえにニュースできいとったけど、JR西日本新快速の長浜のりいれがすくなくなるみたいだ。
いちばん新幹線よりの8番のりばを貨物列車が通過。
これからのる9時18分の大垣いきふつうのつぎは、9時22分の高山いきワイドビューひだ。いっかいこれにのってみるのもいいな。
さて8番のりばに、ひがしのほうから、これからのる米原9時18分の大垣いきふつうがはいってくる。車両基地からきただ。先頭クモハ313-5の313系4両編成のステンレス電車。名古屋圏ではおなじみの、しろい車体にだいだいいろのおびがはいったJR東海の電車だ。ところで1両め側面の方向幕だけが「岐阜いきふつう」になっとって、駅員さんにおしえてあげる。
しゅっぱつまちのあいだに、むかいの7番のりばににしのほうからJR西日本の米原いき新快速がはいってくる。こせんきょうをわたらんでのりつげるってわけだ。
時間になって、しゅっぱつ。
すぐに単線になって、みぎに広大な車両基地をみていく。ゆるくみぎにゆみなって、北陸線ごえ。
はんたい線と合流。こっから複線のかたちになる。
時速120キロですすむ。いや、この区間、まえからこんなにはよはしっとったか。
醒ケ井(さめがい)は、しましきのりばひだりがわに停車。ほか、みぎにかためんのりばがひとつあるけどつかわれとらんらしくて、このしましきのりばが上下共用ののりばになる。さらに、しましきのりばのひだりそとがわに側線が1本。
醒ケ井をでて、天野川(あまのがわ)をひだりにそって、東北方向にすすんでいく。
正面に伊吹山がみえてくる。新幹線の車窓にみた、あの伊吹山だ。
ゆるーいみぎ曲線になって、ひだりぶくらみの分岐をひだりにはいって、近江長岡(おうみながおか)はしましきのりばひだりがわの1番のりばにはいっていく。はんたい線もしましきのりば。
おんなのことおかあさんがえがおででむかえてくれて、近江長岡にとうちゃく。9時27分。
のりばにとどまるうちに、むかいの2番のりばを高山いきワイドビューひだが通過。
ひがしにさっていく。
しばらくいったとこで、みぎにゆみなっていって、電車はみえんくなる。
つづいて、1番のりばにまちあいしとった大垣いきふつうもしゅっぱつ。
のりばからひがしにいって、主線に合流。
しばらくいったとこで、みぎにゆみなっていって、電車はみえんくなる。高山いきワイドビューひだも大垣いきふつうも、柏原おおまがりにはいっていっただ。みぎにおおきくゆみなって、さらにみぎにおおきくゆみなって進行方向をみなみむきにかえて、つぎはひだりにおおきくおおきくゆみなって進行方向をひがしむきにかえて、つぎの柏原(かしわばら)にいく。
はんたい線3番のりばに米原いきふつうの4両編成313系電車がはいってくるのをみて、見物をきりあげ。かいさつはきたがわ。のりばからかいだんをおりて半地下通路をとおって、ちょこっとかいだんをあがってかいさつをでる。
さて、近江長岡のえきまえから東海道線旧線あとをたずねる。いま高山いきワイドビューひだや大垣いきふつうが柏原おおまがりにはいっていくのをみたとこだけど、じつは、まえはまっすぐのびていっとった。ほの旧線あとをこれからみにいくだけど、あるいていくしかないのか。
ちょうどえきまえにバスがとまっとって、だめもとで運転士さんにきいてみる。このバス、大野木(おおのぎ)交差点のへんをとおりますか? もってきたてせいの地図をしめしてきくと、大野木交差点はとおらんけど、村木(むらぎ)交差点ならとおるよとのこと。いや、たすかる。とちゅうまででもバスでいけるのはありがたい。てせいの地図には旧線のいきさき大野木交差点のほか、中間の村木交差点もしるしてあって、ほれで運転士さんがわかってくれただ。近江長岡えきまえから村木交差点、大野木交差点っていくのが県道大野木線で、東海道線の旧線がここをとおっとった。
バスは、湖国バスの近江長岡駅9時45分の伊吹登山口いきバス。ほんとに伊吹山登山にいくふたりのひとといっしょにバスにのりこんで、しゅっぱつ。
えきまえロータリーをでて右折。東海道線をみぎにそって、県道大野木線をいく。
まちをぬけてしばらくいったとこで、東海道線がみぎにはなれていく。わが伊吹登山口いきバスは県道大野木線をいく。これが東海道線旧線だ。
琴岡橋(ことおかばし)で天野川をわたって、新幹線をくぐって、あっけなく村木(むらぎ)バス停にとうちゃく。村木交差点のすぐてまえだ。定刻の9時47分より1分おくれ。
のってきたバスが左折してさっていくのをみおくって、村木交差点を直進。あるいて、東海道線旧線あとである県道大野木線をひがしにいく。
ひだりをみると、伊吹山がくっきり。
みちはのぼりざか。ひだりにはばのひろい歩道はあるけど、ひとどおりはなし。
すすんで、みぎにイブキサッカースタジアム。もとゴルフ練習場だ。
すすんで、人家もなくなって、ひだりにセメント工場。近江鉱業大野木工場ってかいてある。いぜんとしてのぼりざか。いきかうのはでっかいトラックばっかり。台数はおおくないけど、ちょっとみの危険をかんじるぐらいのいきおいでとおっていく。
すすんで、ひだりにいちかわ倉庫名神滋賀。みぎしたに日本ガスケット。
みちがゆるくひだりにゆみなっていくとこで、みぎに材光工務店のリサイクルプラント。産廃業者だ。
さかをあがりきって、大野木交差点にとうちゃく。ひだりうしろからきた、北国街道こと国道365号線と合流。
東海道線旧線は、こっから北国街道をとおって関ケ原にいっとった。柏原おおまがりや今須(います)トンネルをとおるいまの経路じゃなくて、まっとやまがわをとおって関ケ原にいっとった。
ふりかえって、大野木交差点をにしむきにみる。このふたまたのひだりがいまとおってきた県道大野木線で、みぎが北国街道になるだけど、じつはじつは東海道線が県道大野木線をとおるようになるまえは、この北国街道をとおってここまできとった。旧線のさらに旧線ってことで便宜的に旧々線(きゅうきゅうせん)っていうことにするけど、旧々線は長浜からきとった。長浜からひがしにすすんだとこで北国街道にはいって、ほのままこの大野木交差点もとおって関ケ原までいっとったってわけだ。大津から長浜まで琵琶湖をわたってくる鉄道連絡航路があって、ほれにつながって線路があっただ。
この近江長岡のへんの東海道線の経路のうつりかわりを、かんたんに説明するとこうなる。
1880年までに神戸から大津まで全通。
1882年、大津から長浜まで鉄道連絡航路が開通。
1883年、北国街道にそうかたちで長浜から関ケ原まで開業。これが旧々線。
1889年、琵琶湖航路を介して神戸から新橋まで全通。
おんなじ1889年、大津から米原、近江長岡をとおって大野木交差点にいたる鉄道が開業。これが旧線。
1899年、近江長岡から関ケ原までの現行線が開業。
つまり、旧々線ができたのが1883年で、6年たった1889年に旧線にかわって、また10年たった1899年に現行線にかわったってことだ。旧線から現行線にかわったのは、勾配緩和のためっていう。ほんな歴史があっただ。
大野木交差点から、旧々線のとおっとった北国街道をにしに長浜方向にあるいてみる。県道大野木線が、ひがしに大野木交差点にむかってのぼりざかになっとったのにたいして、こっちはたいらかだ。大野木交差点のたかさのまま、みぎにゆみなってにしにのびていく。
ちょこっといったとこで、ひだりにひろば。なんだかわからんだけど、ただ舗装がしてあるだけのひろば。
まあちょっといって、みちが直線になる。左右に KOHOKU の事業所。これも産廃業者だ。みぎに山室木材鉱業のきくずリサイクルプラント。北国街道のほうも県道大野木線とようにたふうけいだ。
ここまであるいてきたとこで、近江長岡のえきにもどることにする。あるいてもどるのはつらく、近江タクシーをよぶ。大野木交差点のとこっていうとわかってくれて、ただ、交差点でとまるわけにいかんで、ちょっとにしのチェーン着脱場におってくれっていう。あー、あのただ舗装がしてあるだけのひろばは、チェーン着脱場だっただ。北国街道っていうだけある。
タクシーをまつうちに、みなみのほうに新幹線がいくのがみえる。新幹線は、東海道線現行線よりきたがわをはしっとる。
ほどなくやってきたタクシーにのって、また北国街道をにしにいく。しばらくいって、ファミリーマートのてまえで左折。くだっていって、つきあたりT字を左折。
住宅街をすすんで、村木交差点を右折。いきにバスをおりた、あの村木交差点だ。こっから県道大野木線をにしにはいっていく。
新幹線をくぐってすぐの、天野川にかかる琴岡橋のてまえでタクシーをとめてもらう。
琴岡橋からしもに、伊吹せんろみち鉄橋をみる。
伊吹せんろみち鉄橋のたもとまでいって、せんろみちがのびていく方向をみる。新幹線がはしるしたをくぐって、貨物線がのびていっとっただ。
説明がきをよんでみる。
「伊吹せんろみち、住友大阪セメント廃線じき。伊吹山は、良質な石灰岩の産地としてしられております。1952年に鉱山として開山し、同時期にセメント専用鉄道が開通しました。開通当時は蒸気機関車でしたが、ほのあと、ディーゼル機関車をへて、電気機関車『いぶき号』になり、閉鎖される1999年まではしりつづけました。『伊吹せんろみち』は、地域発展の歴史をつぎの世代にうけつぐために、住民参加がたで廃線じきを道路として計画したもんです」
東海道線旧線から分岐するセメント専用鉄道が、こっから伊吹山にむかってのびていっとっただ。いや、1999年って、ついさいきんまではしりつづけとっただ。ただ、とっくに東海道線旧線はなくなっちゃっとったはずだけど、こっからどうやって東海道線につながっとったのか。
タクシーにもどったとこで、運転士さんが「伊吹せんろみちは、伊吹山のふもとにみえるあのえんとつのとこまでいっとったですよ」っておしえてくれる。いや、けっこうなきょりがある。
また、県道大野木線をにしにはしって、近江長岡のえきにとうちゃく。こんどはまちあるきだ。えきからきたに近江長岡のめぬきどおりがのびとって、ほっちにむかう。
県道大野木線をちょこっとひがしにあるいて、長岡交差点を左折。めぬきどおりをきたにはいっていく。
しもは醒ケ井、米原をとおって琵琶湖にそそぐ。
すぐかみに、ひだりから支流が合流してくる地点があって、ほのまたのとこになにやらいしぶみがある。
いしぶみのとこまでいってみると、「長岡のげんじぼたるのいしぶみ」だった。清流なだ。田園ふうけいのむこうにおおきく伊吹山。時間がとまっとる。
はしのきたづめからちょこっとひだりにはいって、長岡神社におまいり。由緒がきに、坂田郡(さかたぐん)山東町(さんとうちょう)大字長岡1573ってかいてある。いまは米原市にはいっとる長岡だけど、まえは山東町だっただ。祭神(さいじん)はすさのおのみことで、創建は天平宝字(てんぴょうほうじ)6年4月。西暦762年になる。
めぬきどおりにもどって、きたにすすむ。すぐひだりに長岡集会所があって、のきさきの喫煙所でいっぷく。すすんで、ひだりに米原市山東支所。旧山東町やくばだったにちがいない。なかにはいって、このあたりでめしがくえるとこがあるかきくと、ルッチプラザの2階に食堂があるにはあるとのこたえ。ついでに便所をかりただけど、表示が女子便所に男子トイレ。すすんで、ひだりT字の西北かどに滋賀銀行山東支店。こっからひだりにはいっていって、ルッチプラザにとうちゃく。福祉施設や文化施設を統合したおおがかりなたてもんだけど、なんかこのまちのふぜいにそぐわん。食堂もあったけど、すどおり。すすんで、長岡北交差点を直進。みぎに山東郵便局。ゆくてに新幹線高架があって、まちはここまで。
みなみにひきかえす。
近江長岡のかいさつをはいらあってとこで、ひがしいきに名古屋いきしらさぎ号が通過していく。かいさつをはいったとこで、ひがしいきに貨物列車がでていく。しらさぎ号の通過をまっとっただ。
しましきのりばにあがって、主線がわ3番のりばにはいってきた、近江長岡12時7分の米原いきふつうにのる。電車は、先頭クハ312-410の4両編成313系ステンレス電車。
にしにすすんで、貨物列車とすれちがい。なんぼんも貨物列車がはしっとるもんだ。
醒ケ井に停車。
12時17分、米原は2番のりばにとうちゃく。むかいの3番のりばに、3分后にしゅっぱつの姫路いき新快速がまっとる。
さて、ひるめしにするだけど、ほのまえに在来線かいさつをでたとこで時刻表をかくにん。いまからだと13時51分の名古屋いきしらさぎ号がちょうどいいか。いきは新幹線できたけど、かえりは在来線で柏原おおまがりをたしかめていきたい。ただ、ふつう電車だと大垣でこせんきょうのりかえをしいられるのがふゆかいだ。ほいで、名古屋いきしらさぎ号にのることにきめた。
ひがしぐちにおりて、スタンダールってみせにはいって、4種きのこの和風ペペロンチーノとアイスコーヒーのひるめし。ごちそうさまでした。
特急しらさぎで柏原おおまがりをたしかめながらかえる
米原のえきにもどって、名古屋いきしらさぎ号のきっぷをかう。乗車料金こみで名古屋まで2,540円。たっかっ! 新幹線の倍の時間がかかるのに、新幹線の3,100円と大差がない。
7番のりばにおりて、電車をまつ。構内放送で「しらさぎ号なん号車の表示のとこでおまちください」っていうだけど、どこに表示があるのかわからん。どこにあるう?って駅員さんにきいたら、うえにありますよって。あー、上空の電線にはりつけてあるわ。乗車位置表示って地面にあるばっかりじゃないだ。電車は6両編成で、5、6号車が自由席ってことで、6号車のとこでまつ。
きた。ひがしのほうから、米原13時51分の名古屋いきしらさぎ号がはいってきた。金沢から北陸線をとおってきた電車で、のっぺりがおのほうを先頭にしてはいってきただけど、こっから反転分岐して東海道線にはいっていくだで、のっぺりがおのほうがしんがりになる。しんがりが6号車。ついた電車からはようけ乗客がおりてくる。
ところでおもうだけど、この特急と新幹線を、しましきのりば対面でのりかえれるようにせやあ、まっとみんならくになるのにな。
けっきょく5号車にのりこんで、座席を転換させたうえでひだりまどがわ席にすわって、しゅっぱつ。車内はがらがら。ここでようけおりちゃったでか。
天野川をひだりにそってすすんで、醒ケ井を通過。
近江長岡を通過。さっき、こっから東海道線旧線あとをたずねてきた。
さて、電車はみぎにおおきくゆみなっていく。旧線は直進しとったけど、現行線はみぎにおおきくゆみなって柏原おおまがりにはいっていく。正面にみえとった伊吹山がひだりにはなれていく。
ちょこっとすすんで、ふたたびみぎにおおきくゆみなって、進行方向はみなみむきにかわる。
またちょこっとすすんで、こんどはひだりにおおきくおおきくゆみなって、進行方向はひがしむきにもどる。このおおきなみぎS字曲線が柏原おおまがりだ。
進行方向はひがしむきにもどってすぐに、柏原を通過。
車返(くるまがえし)ふみきりをすぎて、みぎに中山道今須宿(いますじゅく)をみていく。いや、なんでここにえきをつくらんかったのか合点がいかん。今須宿からほのまま今須トンネルにはいる。
関ケ原を通過。旧線があったのは近江長岡からここ関ケ原までの区間。
垂井(たるい)を通過。駅名板のひらがながきがとってもわかりやすい。
さいしょの停車駅、大垣に停車。こっから座席を対面にして、くつろいでいくことにする。これがひとつの利点か。
揖斐川鉄橋をわたるとこでおもいだす。あー、ほういやあ、旧揖斐川鉄橋わたりにいかにゃ。いまものこる旧鉄橋が歩行者専用のはしとしてのこっとるだ。
ひだり車窓に清洲城。また写真をとりそこねる。
庄内川をわたって、名古屋にはいる。
14時48分、名古屋にとうちゃく。
のってきた電車をかくにん。かっこいい流線形の先頭1号車はクロ681-5。クロのクは運転台がついとるって意味で、クロのロは2等車の意味。グリーン車だ。1号車だけが2等車相当のロで、2号車から6号車までは、指定席も自由席もなく3等車相当のハになる。イ、ロ、ハを1、2、3等車にあてとるわけだけど、イってのはみたことがない。
広小路口かいさつをでて、名鉄にのりかえ。ふるいにかえる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2021年10月いつか、かようび、平日
- いき
- ふるい 7:00 → (名鉄西尾線=しんあんじょういきふつう) → 7:10 しんあんじょう
〔5.7キロ、10分、時速34.2キロ〕 - しんあんじょう 7:20 → (名鉄名古屋本線=弥富いき急行) → 7:24 知立
〔4.8キロ、4分、時速72.0キロ、ふるいから知立まで300円〕
(※ 「ふるい 7:22 → 7:38 知立」の岐阜いきふつうにのやあまにあっただけど、むだにはやい電車にのった) - 知立 7:42 → (名鉄名古屋本線=岐阜いき快速特急【特別車1号車3A】) → 8:08 名古屋
〔24.9キロ、26分、時速57.5キロ、知立から名古屋まで870円(乗車料金510円+特別車料金360円)〕 - 名古屋 8:20 → (東海道新幹線=新大阪いきひかり号) → 8:48 米原
〔66.2キロ、28分、時速141.9キロ、3,100円(乗車料金1,340円+自由席特急料金1,760円)〕
- ふるい 7:00 → (名鉄西尾線=しんあんじょういきふつう) → 7:10 しんあんじょう
- 現地移動
- かえり
- 米原 13:51 → (東海道線=名古屋いきしらさぎ号) → 14:48 名古屋
〔79.9キロ、57分、時速84.1キロ、2,540円(乗車料金1,340円+自由席特急料金1,200円)〕
(※ 新幹線の倍の時間がかかるのに、料金が3,100円たい2,540円って大差がないのは不満) - 名古屋 15:07 → (名鉄名古屋本線=豊明いき準急) → 15:10 金山
〔3.6キロ、3分、時速72.0キロ、190円〕 - 金山 16:07 → (名鉄名古屋本線=豊橋いき特急【特別車1号車5A】) → 16:28 しんあんじょう
〔26.1キロ、21分、時速74.6キロ〕 - しんあんじょう 16:37 → (名鉄西尾線=西尾いきふつう) → 16:45 ふるい
〔5.7キロ、8分、時速42.8キロ、金山からふるいまで980円(乗車料金620円+特別車料金360円)〕
- 米原 13:51 → (東海道線=名古屋いきしらさぎ号) → 14:48 名古屋
- いき
- 廃線探索 - 東海道線(官設鉄道)関ケ原駅-長浜駅(歩鉄の達人)|更新日時:2011年06月26日
- 東海道線(官設鉄道)関ケ原駅-長浜駅:東海道本線の延伸の歴史は、最初は新橋駅-横浜駅間と、神戸駅-京都駅間という都市文化の象徴であったが、その后、関東と関西を結ぶ幹線として計画されるようになった。なおその際、すでに長浜駅-関ケ原駅間に、建設資材の輸送などを目的として鉄道が開業しており、既存路線を積極的に活用して建設予算を低減する方針から、東海道本線の名古屋-草津間は江戸時代の東海道ではなく、美濃路と中山道に沿うルートでの布設となった。
- 1883年5月1日、関ケ原駅-長浜駅間が開業。この区間は伊吹山が途中にあり現在のルートとは異なる。関ヶ原駅・春照駅が開業。長浜駅で官設鉄道金ケ崎駅方面に接続。
- 1889年7月1日、関ヶ原駅-深谷駅-馬場駅(現・膳所駅)間の開通時に、長岡駅(現・近江長岡駅)開業。
- 1891年1月12日、深谷駅-長浜駅間が貨物支線として運行再開。本線との分岐点に(貨)深谷駅が開業。
- 1899年10月15日、関ケ原駅との間に、現在の柏原駅回りのルートである勾配緩和線が開業。深谷駅回りの旧線は休止(同年12月28日廃止)。
- 東海道本線 - Wikipedia > 年表
- 1880年7月15日、逢坂山トンネル開通により、大津駅-大谷駅間(3M13C96L≒5.11 km)が延伸開業(馬場駅-大谷駅間は 1M70C82L≒3.03 km)し、大津駅-神戸駅間全通。馬場駅(現在の膳所駅)・石場駅・大津駅(初代、のちの浜大津駅)が開業。この京都駅-大津駅間は逢坂山が途中にあり、現在のルートより迂回するルートであった。
- 1882年5月1日、太湖汽船が琵琶湖上の長浜駅-大津駅間に鉄道連絡船を就航。
- 1883年5月1日、関ヶ原駅-長浜駅間(14M32C65L≒23.19 km)が開業。この区間は伊吹山が途中にあり、これも現在のルートとは異なる。関ヶ原駅・春照駅が開業。長浜駅で官設鉄道金ヶ崎駅方面に接続。
- 1884年5月25日、大垣駅-関ヶ原駅間(8M35C32L≒13.59 km)が延伸開業。大垣駅・垂井駅が開業。
- 1887年1月21日、大垣駅-加納駅間(8M72C84L≒14.34 km)が延伸開業。加納駅(現在の岐阜駅)が開業。
- 1887年4月25日、木曽川駅-加納駅間(4M44C78L≒7.34 km)が延伸開業し、武豊駅-長浜駅間が全通。途中木曽川鉄橋の建設のため時間を要した。名護屋駅を名古屋駅に改称。
- 1888年9月1日、浜松駅-大府駅間(55M44C4L≒89.40 km)が延伸開業。浜松駅・馬郡駅(現在の舞阪駅)・鷲津駅・豊橋駅・御油駅(現在の愛知御津駅)・蒲郡駅・岡崎駅・刈谷駅が開業。浜松駅-長浜駅間が本線、大府駅 - 武豊駅間が支線となる。
- 1889年4月16日、静岡駅-浜松駅間(47M35C≒76.34 km)が延伸開業。この時点で、長浜駅-大津駅間琵琶湖の水路を用いることで、関東から関西までの輸送路が一応完成。焼津駅・藤枝駅・島田駅・堀ノ内駅(現在の菊川駅)・掛川駅・袋井駅・中泉駅(現在の磐田駅)が開業。
- 1889年7月1日、分岐点(のちの深谷駅)-長岡駅(現在の近江長岡駅)-馬場駅間(43M22C≒69.64 km、関ケ原駅 - 分岐点間は4M45C≒7.34 km)が延伸開業し、新橋駅-神戸駅間が全通(直通は1日1往復。片道約20時間。運賃下等3円76銭)。長岡駅・米原駅・彦根駅・能登川駅・八幡駅(現在の近江八幡駅)・草津駅が開業。春照駅が廃止。分岐点-長浜駅間営業休止。馬場駅-大津駅間の旅客営業が廃止され貨物支線となる。太湖汽船の長浜駅-大津駅間航路廃止。
- 1891年1月12日、深谷駅-長浜駅間が貨物支線として運行再開。本線との分岐点に(貨)深谷駅が開業。
- 1896年11月、貨物支線深谷駅-長浜駅間が休止。
- 1899年10月15日、関ヶ原駅-長岡駅間の柏原駅経由の現行線(6M28C≒10.22 km)が開業。旧線は休止。
- 1899年12月28日、関ヶ原駅-深谷駅-長岡駅間 (6M28C) の旧線と、貨物支線深谷駅-長浜駅間(9M60C≒15.69 km)が廃止。(貨)深谷駅が廃止。
- 滋賀県道244号大野木志賀谷長浜線 - Wikipedia
- 国道365号 - Wikipedia
- 伊吹せんろみちの説明がき - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/10/15 〔ついか〕
- クロ681-5 - 2021年10月いつか - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/10/15 〔ついか〕
- 豊明いき準急、豊橋いき特急、西尾いきふつう - 2021年10月いつか - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/10/15 〔ついか〕