2022年2月18日、関西線でのぼのまでいってきた。全国の平定をなしとげながら、伊吹山でやまのかみのたたりにあたって衰弱。ふるさと大和のくににかえることなく、伊勢のくにはのぼのの地でなくなったやまとたけるのみこと。このはなしはしっとっただけど、じっさいにのぼのってとこがあって、ほこにやまとたけるのみことがまつられとるってことをしって、いくことにしたしだいだ。ばしょをたしかめてみると鈴鹿川流域。もよりえきは関西線の井田川(いだがわ)ってえき。近鉄じゃあいきようがなくて、関西線でいってきた。
◇ ◇
名古屋は関西線12番のりばにあがったとこで、まあはい8時26分の亀山いきふつうがとまっとる。電車は、先頭クモハ313-1003のB3編成4両313系ステンレス電車。ステンレス車体にだいだいいろのおびのはいった電車だ。
時間がきて、しゅっぱつ。ひだりにワイドビューひだ、みぎにあおなみ線電車をみて、みなみにむかっていく。
みぎにゆみなって新幹線をくぐる。
ひだりうえにあおなみ線ささしまライブのえきがみえるとこで、名古屋いき区間快速の313系ステンレス電車とすれちがい。あおなみ線とは、新幹線をくぐったあと左右位置をいれかわった。このあたりから進行方向はにしむきになる。
みぎに平行する近鉄線を、富吉いきふつうの近鉄標準電車がいく。あかちゃいろとしろの2色塗装の無骨にかくばった電車が近鉄標準電車だ。
高架をあがって、八田(はった)に停車。はんたい線はしましきのりば。
ここで、名古屋いきふつうの313系ステンレス電車とすれちがい。
近鉄線をみぎななめにくぐって、左右位置をいれかわる。
がっちりしたガーダー橋で庄内川をわたる。
つづいて、新川をわたる。
みぎ10度に養老のやまやまをみて、春田(はるた)に停車。高架のえきだ。
ここで、名古屋いき快速みえといきちがい。気動車だけど快速で、くろいかおがちからづよくかんじる。
福田川をわたる。
蟹江(かにえ)に停車。上下線のほかになかせんもあるだけど、ゆきげしょうにおどろく。
はんたいのりばは電車をまつひとでいっぱい。
名古屋いきふつうの313系ステンレス電車のとうちゃくをまって、しゅっぱつ。
日光川をわたる。単線のふうけいはやっぱりわびしい。
永和(えいわ)に停車。ここも上下線のほかになかせんがあるだけど、陸橋を流用してこせんきょうにしとるのがわびしい。
えきじゃないけど線路が2本になって、しらとり信号場にはいる。
信号場がみぎにゆみなっていくとこで、名古屋いきふつうの313系ステンレス電車といきちがい。いきちがいのあと停止。信号があおにかわって、さいしゅっぱつ。えらいながい信号場だ。
弥富(やとみ)に停車。ここも上下線のほかになかせんがあるだけど、こせんきょうはやねのついたちゃんとしたもんだ。ただ、どのえきもひとのけはいがすくない。えきばっかりだだっぴろくてわびしい。はんたい線しましきのりばそとがわが名鉄のりばなだけど、ちょうどあっかい電車はおらん。
弥富から線路は複線になる。
みどりいろのがっちりした鉄骨トラス橋で木曽川をわたって、尾張のくにから伊勢のくににはいる。
上下共用しましきのりばの長島(ながしま)に停車。
また、みどりいろのがっちりした鉄骨トラス橋で、連続する長良川と揖斐川をわたる。さっきわたった木曽川とこのふたつのかわをあわせて木曽三川(きそさんせん)っていう。どのかわもうみみたいにひろい。
ぐいーんってひだりにゆみなって、進行方向がみなみむきにかわったとこで、ひだり近鉄線をいく松阪いき急行の近鉄標準電車とならぶ。
関西線をみぎななめにまたぐ近鉄線をいく松阪いき急行をおっていく。
みぎにゆみなっていくとこで、名古屋いき快速みえとすれちがい。伊勢のくにはいっても、しっかり線路にゆきがのこっとる。
桑名(くわな)は1番のりばに停車。
桑名をでて、また単線になる。
みぎ、近鉄線のりばから松阪いき急行がさきにでていく。
松阪いき急行をおってって、みぎ、近鉄線益生(ますお)のえきにとまる四日市いき準急の近鉄標準電車とすれちがい。こっからまた関西線は複線になる。単線になったり複線になったりいそがしい。
みどりいろのがっちりした鉄骨トラスの町屋川鉄橋をわたる。
関西線をひだりななめにまたぐ近鉄線をいく松阪いき急行をおっていく。関西線と近鉄線がみぎになったりひだりになったして、亀山いきふつうが松阪いき急行をおっていく。
朝日(あさひ)に停車。
ガーダー橋で朝明川(あさけがわ)をわたるとこで、むこうに四日市のコンビナートがみえてくる。
ひだりにゆみなりながら三岐鉄道をみぎななめにくぐる。
またすぐに三岐鉄道をひだりななめにくぐりかえす。さいしょにくぐったあと、三岐鉄道がみぎにゆみなってきただ。
ガードしたにふるめかしい機関車をみて、近鉄線をくぐる。
すぐにだだっぴろい構内の富田(とみだ)に停車。なんじゅうねんもかわっとらんってかんじのえきだ。ここでしばらく停車。ワイドビュー南紀とすれちがい。
はんたい線のりばに、名古屋いきふつうの2両編成313系ステンレス電車がはいってくる。ほのむこうがわが駅舎。
富田をしゅっぱつして、また単線になる。
富田浜(とみだはま)に停車。えきのみぎに富田中学校。
富田浜をしゅっぱつして、また複線になる。
電車は速度をあげて、120キロですすむ。ただ、複線区間はとぎれとぎれにしかなくて、高速ではしれるとこはかぎられる。
ガーダー橋で海蔵川(かいぞうがわ)をわたる。
またガーダー橋で三滝川(みたきがわ)をわたると、ひだりの線路群にガソリン専用貨物列車がいっぱい。
四日市(よっかいち)に停車。旅客は上下共用しましきのりばがひとつあるだけだけど、まわりは貨物の線路がいっぱい。とまったすぐひだりにもガソリン専用貨物列車。
四日市をしゅっぱつして、ひだりにえだわかれしていく貨物線がみえる。わが亀山いきふつうがいく線路は、また単線になる。
ちいさなガーダー橋のわきに保線員さんら。いや、はしのかけかえ工事がおわったかなんかで、完了検査をするとこか。
南四日市(みなみよっかいち)に停車。なんにんかおりる。上下共用しましきのりばのえきで、むかいののりばに伊勢鉄道四日市いきふつうの単行気動車。
南四日市をでて、また複線になる。
ガーダー橋で内部川(うつべがわ)をわたる。
どてうえ高架をすすんでいったとこで、分岐をみぎにはいって上下線のあいだにもぐっていく。複線のまま直進するのが伊勢鉄道で、関西線は単線になるだ。
単線になって、伊勢鉄道のはんたい線をくぐる。
伊勢鉄道のどてうえ高架をひだりにそってすすんで、河原田(かわらだ)に停車。陸橋を流用したこせんきょうがにがにがしい。ひだりどてうえには伊勢鉄道の河原田のえき。
いきちがい線がながくつづいて、単線に合流するてまえにふみきり。
みぎにゆみなっていくとこで、ひだりに鈴鹿川があらわれる。ここまで伊勢のくにをみなみにはしっていくつかのかわをよこぎってきただけど、こっから西西南方向に進行方向をかえて、ひだりに鈴鹿川をそっていく。
またひだりに鈴鹿川がみえる。
河曲(かわの)に停車。むりなあてじだ。
名古屋いき快速の2両編成313系ステンレス電車がくるのをまって、しゅっぱつ。快速ってっても四日市までは全駅停車。
名古屋いきふつうをおりたひとが構内ふみきりにむかうのをみながら、つぎのえきにむかう。
ひだりにしっかり鈴鹿川がみえる。のどかなふうけいだ。
加佐登(かさど)に停車。ひらがながきにかえたほうがいい。
田園地帯をいく。
みぎにゆみなっていくとこで、ひどい警笛。おじいさんがふみきりまちしとるだ。
国道1号線をくぐる。こんないなかを国道1号線がはしっとるだ。
ガーダー橋で鈴鹿川の支流、安楽川(あんらくがわ)をわたる。
ゆるくひだりにゆみなって、いよいよ井田川だ。
ながいいきちがい線をとおって、井田川(いだがわ)にとうちゃく。9時45分。ここも陸橋を流用したこせんきょうだ。
のってきた電車をみおくり。
駅舎とかいさつははんたいのりばのほう。やねもかべもない陸橋をわたらにゃいかんのか。
陸橋にあがって、駅舎のはんたいがわ、東南方向はいちめんのたんぼ。
簡易改札機があるだけのかいさつをマナカをかざしてとおって、みぎに木造のりっぱな駅舎。駅舎ってってもJR東海がつくったもんじゃなくて、じもとがつくったもんだ。いや、駅舎があるってのはありがたい。ひといきつける。一角に「井田川駅のおもいで」。むかしの駅舎や列車の写真が展示してある。
えきまえロータリーにバス停を発見。亀山駅(かめやまえき)と平田町駅(ひらたちょうえき)をむすぶバスがここをとおるだ。亀山駅は関西線のつぎのえきだけど、平田町駅は鈴鹿川対岸をはしる近鉄鈴鹿線の終着駅だ。ほんなつながりがあるのか。平田町駅いきバスの時刻をかくにん。
さて、井田川駅から西北にのぼのをめざしてあるく。
広大なみどりがおかをこえる。宅地開発のおかだ。
平地におりて、鳶ケ丘(とびがおか)交差点を直進。いや、ほれにして、もさぶいな。関西線にゆきがいっぱいゆきがのこっとるのにもおどろいたけど、ここもびゅーびゅーかぜがふいてどえらいさぶいわ。てぶくろを用意してきてよかった。
安楽川にかかるのぼのばしをわたる。いよいよだ。
はしをわたってちょこっといって、ひだりに駐車場と便所。英雄やまのたけるのみことがまつられとるだけあって、ここをおとずれるひともなんにんかあるだ。
もりのなかにやまとたけるのみことのはかとやまとたけるのみことをまつったのぼの神社があるだけど、さきにはかのほうにいくことにする。
やますそをすすんで、とびち「い号」のはかにおまいり。
やますそからみるのぼののふうけい。人工的なもんがなんにもないふうけいだ。やまとたけるのみこともこんなふうけいをみながらさいごをむかえたのか。
もりにのぼって、やまとたけるのみことのはかにおまいり。
もりをのぼりなおして、のぼの神社におまいり。
さて、さぶいなかえきまであるいてかえるかっておもったとこで、駐車場にきゃくまちのタクシーを発見。5分でえきにとうちゃく。いきは30分かけてあるいていったとこを、かえりはたったの5分だ。
すぐにきた電車にのって、いえじにつく。電車は井田川11時29分の名古屋いき快速で、先頭クハ312-1326の2両編成313系ステンレス電車。つぎは1時間あとになる。うまいことタクシーにのれたもんだ。ちなみに関西線の運行本数は、ワイドビュー南紀をべつにして、名古屋から四日市までが1時間に4本。四日市から亀山までが1時間に1本。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2022年2月18日、きんようび、平日
- ふるいから名古屋まで - 2022年2月18日 - あきひこゆめてつどう|2022/03/16
- トンネルにもぐって、名古屋にとうちゃく。8時8分。かいさつをでて、さあ、関西線だ。
- 美濃路を宮宿から佐屋路分岐まであるく - 2021年7月22日 - あきひこゆめてつどう|2021/09/24
- ヤマトタケルと伊吹山の神|日本武尊物語|スペシャルコンテンツ|お祓い・お宮参り・七五三・神前結婚式|滋賀・大津|建部大社
- 西国につづき東国を平定し、尾張のくににもどってきたやまとたけるは、以前結婚の約束をしとったみやずひめとむすばれます。しばらくのあいだはともにすごしておりましたが、伊吹のやまにわるいかみがおるときき征伐にむかいます。たびかさなる勝利に慢心したためか、神剣くさなぎのつるぎをみやずひめにあずけてむかいました。
- 伊吹のやまをのぼるとちゅう、うしほどのおおきなしろいいのししにであい、「これはやまのかみのつかいだな、かえりみちであいてになってやろう」とおおきなこえで威嚇してやりすごしました。するととつぜんはげしくひょうがふりだし、いくてをはばまれまます。じつはしろいいのししはやまのかみのつかいではなく、やまのかみほのもんであり、やまとたけるが威嚇したためほのいかりをかったのです。
- ひょうにうたれて衰弱したやまとたけるは、やっとのおもいでやまを脱出し、故郷の大和をめざします。養老の地をとおるときには「いまはあるくこともままならず、あしがたぎたぎときしむ」となげかれました。のちにこののはらはたぎの(多芸野)といわれるようになりました。
- 歴史の情報蔵・三重の歴史がよみがえる - 県史Q&A > 4.「杖突坂」とその由来
- 杖突坂(つえつきざか)は、「杖衝坂」(『三国地誌』)とも書きますが、『伊勢名勝志』三重郡の山川の項に「杖突坂采女村ニアリ官道ニ属ス、伝へ云フ倭武尊東征ノ時、桑名郡尾津村ヨリ能褒野ニ到ルノ時、剣ヲ杖ツキ此坂ヲ踰エ玉フ故ニ名ヅク(以下略)」と記述されており、『勢陽五鈴遺響』にも同様の説明があります。いわゆる日本武尊伝説地の一つです。
- 日本武尊(やまとたけるのみこと/『古事記』では倭建命と書く)は、実在の人物ではなく、大和朝廷が勢力を西や東に延ばしていったときの多くの勇者の話を一つにまとめた英雄伝説であると言われておりますが、三重県では地名由来の説話として関係しております。
- 日本武尊が幾多の苦難の末に東国を平定し、帰途につきましたが、伊吹山で荒ぶる神の祟りを受け、病にとりつかれてしまいます。そこで、大和に帰るため、伊勢国に入り、三重郡采女村(うねめむら)あたりまで来たとき、急坂を杖をついてようやく登れたので、その坂を「杖衝坂」と言ったということです。さらに、少し進んだとき、「吾か足三重の勾(まがり)なして、いたく疲れたり」と言い、その地を「三重」と言うようになったとも伝えられております。三重郡の由来です。そして、能褒野(のぼの)にたどり着いたところで亡くなったので御陵をつくると、日本武尊は、大きな白鳥と化して、大和をめざして飛び去っていったというお話です。
- この杖突坂は、内部川(うつべがわ)よりおよそ0.5キロメートル南にあって坂の上までの距離およそ100メートル、比高およそ20メートル強の東海道の道筋の中でも急坂となっています。大正の末期頃、この坂を自動車が登り切れんので、坂の下の民家の牛の力を借りて登ったというエピソードも残されております。また、この急坂を登りつめたところに、日本武尊伝説地の一つである御血塚の祠があり、前記の『伊勢名勝志』の同じ項に「(前略)側ニ血塚アリ尊ノ足ヨリ出デシ血ヲ封ゼシ処ナリト云フ」と記述しております。
- この坂は、自動車をはじめ歩行者にも難所であったので、昭和の初期頃、丘陵の北側の中腹にゆるやかな坂道を新設し、これを「昭和坂」と称して利用しました。現在の国道1号線が走っとるところです。
- 日本武尊御墓(やまとたけるのみことおんぼ)|亀山市観光協会
- 能褒野神社 - Wikipedia