「養老線まわり駒野駅下車は迂回である」
竹鼻線開通100周年展にみた、竹鼻鉄道えはがきのこの挑戦的な宣伝文句がきっかけだった。「名古屋方面から岐阜県のおちょぼ稲荷におまいりにいくのに、名鉄からのりついで竹鼻鉄道の終点大須駅までいって、ほっからあと2キロはバスでいく」って順路を宣伝するなかで、宿敵としてあげたのが「養老線まわり駒野駅下車」だ。おちょぼ稲荷はいまの海津市の区域にあるだけど、まえまえから海津市ってどんなとこかなっておもっとっただけに、この文章をみたことがきっかけになって、「名古屋からにしに近鉄で桑名まで、桑名からきたに養老線で駒野まで」って順路で海津市にいってきた。ただし海津市のきたのはずれにあるおちょぼ稲荷にはいったことがあって、市役所のある地区にいってきた。市の中心がどんなとこかみてみたかった。2022年7月28日訪問。
〔名鉄で名古屋まで〕〔近鉄で桑名まで〕 〔養老線で桑名から駒野まで〕〔駒野のえきから海津市役所に移動〕 〔高須のまちをあるく〕〔駒野からかえる〕 |
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名鉄で名古屋まで
ふるい6時49分の岩倉いき急行にのる。4両編成のあっかい電車。きのう新道(しんみち)ふみきりで線路したの一部土砂が流出して復旧工事をしただけど、ほのえいきょうもなく定刻どおりの運行。乗客はたちきゃく8わり。
みなみあんじょうで吉良吉田いきふつうのあっかい電車といきちがい。
きたあんじょうを通過。急行の優越感をかんじる。
しんあんじょうは直前でいったん停車のあと3番のりばにとうちゃく。まえに2両つないでまちあい。
むかいの4番のりばにはいってきた一宮いき急行のあっかい電車をみおくり。
のってきた電車が岩倉いきふつうにかくさげになってでていくのをみおくり。
3番のりばに岐阜いきふつうのあっかい電車がはいってきてまちあい。
4番のりばにはいってきた津島いき急行のぎんいろ電車をみおくり。まち時間もたのしい。
4番のりばにはいったきた、しんあんじょう7時9分の岐阜いき特急にのる。電車はパノラマスーパーで、しんがりの特別車1号車の展望席3Bにすわっていく。うしろむきにみて、ひだり通路がわはしらまえ。となりの3Aはスーツのおねえさん。
神宮前でおんなの車掌さんに交代。案内のこえのかわいいこと。
金山に停車。となりのおねえさんがおりる。
山王をすぎて豊橋いき特急のあっかい電車とすれちがい。
トンネルにもぐって名古屋にとうちゃく。7時37分。
のってきた電車をみおくって地下かいさつをでる。
近鉄で桑名まで
近鉄の地下かいさつをはいって、5番のりばでしゅっぱつまちの大坂難波いきひのとりを見物。かっこいいな。
のるのは3番のりばの松坂いき急行。
電車は6両編成で、車両番号は先頭から5157-5257-5207-5107-1242-1342。先頭車両、座席はベンチシート。
先頭5157にのりこんで8時1分、名古屋をしゅっぱつ。
地上にでて、回送電車とすれちがい。
えきから車両基地にはいっていくアーバンライナーとすれちがって、米野(こめの)を通過。
名古屋いきふつうとすれちがい。
みぎにゆみなりながら黄金(こがね)を通過。
高架をあがって、名古屋いき急行とすれちがいながら烏森(かすもり)を通過。電車は110キロで軽快に高架をすすむ。
八田(はった)を通過するとこでアーバンライナーとすれちがい。
しろいがっちりした鉄骨トラスの鉄橋で庄内川をわたる。
名古屋いきふつうとすれちがって、伏屋(ふしや)を通過。
みぎにゆみなっていくとこで、名古屋いき準急とすれちがい。速度がにぶる。
地平におりて戸田(とだ)を通過。
蟹江(かにえ)は3番のりばからでてきた名古屋いき急行とすれちがって、2番のりばに停車。むかいの1番のりばにまちあいの塩浜いきふつうのおさきにしゅっぱつ。はんたい線4番のりばで名古屋いき急行のまちあいをしとった、名古屋いきふつうもしゅっぱつ。にぎやかな蟹江のえきのふうけいだ。
名古屋いきふつうとすれちがって、ガーダー橋で蟹江川をわたる。
またガーダー橋で日光川をわたる。
名古屋いき準急とすれちがい。
富吉(とみよし)を通過したとこで回送電車とすれちがい。。
ガーダー橋で善太川(ぜんたがわ)をわたる。
佐古木(さこぎ)を通過して名古屋いき急行とすれちがい。
名古屋いき準急とすれちがい。
弥富(やとみ)に停車。
しゅっぱつするとこで、名古屋いき特急のビスタカーとすれちがい。
しろいがっちりした鉄骨トラスの鉄橋で木曽川をわたって、愛知県から三重県にはいる。うみみたいにおおきなかわだ。
みぎにゆみなっていくとこで、名古屋いき急行とすれちがい。方向幕の英語表示がふゆかい。
長島(ながしま)を通過。
しろいがっちりした鉄骨トラスの鉄橋で長良川をわたっとるとこで、名古屋いき準急とすれちがい。つづけて揖斐川もわたる。長良川、揖斐川もうみみたいにおおきなかわだ。
平行する関西線をみぎにこえる。
みぎにゆみなりながら地平におりていって、ひだり関西線とのあいだに養老線がはいりこんでくる。
ひだり養老線のりばにとまる東急ステンレス電車をみて、桑名のえきにはいっていく。
8時22分、桑名(くわな)は6番のりばにとうちゃく。はんたい線7番のりばに名古屋いき特急。
6番のりばのむかいが養老線4番のりばで、のりばにのりかえかいさつはあるけど、いったん橋上かいさつをでる。
養老線で桑名から駒野まで
橋上コンコースからおりたとこに養老線かいさつ。近鉄かいさつも関西線かいさつも橋上コンコースにあるだけど、養老線かいさつだけがのりばのたかさにある。かいさつをはいったとこが養老線4番のりばで、近鉄6番のりばのむかいにあるだけど、どういうわけか5番のりばは欠番。
きっぷをかってかいさつをはいって、とまっとった桑名(くわな)8時45分の大垣いきふつうにのりこむ。電車は2両編成ステンレス電車で、車両番号は7701と7901。近鉄電車でえきにはいるときにみえた東急ステンレス電車だ。座席はベンチシート。車両と車両のあいだにしきりがないのがとくちょう。ほれはいいだけど、なんだこれ。運転室助手席がわの前面ガラスに「サイクルトレイン」のマークがはってあって、ぜんぜん視界不良じゃんか。運転席がわは運転士さんに視界をさえぎられるし、まんなかのとびらのとこもスモークガラスになっちゃっとるし。ただでさえべんとうばこみたいなあじけない外観の電車なのに、乗客に視界を提供すべきまどまでふさいじゃっとる。電車にのることのたのしみをしらんひとのしわざにちがいない。
時間がきて、しゅっぱつ。きたにむかってしゅっぱつ。運転士さんのあたまごしにまえをみていく。
アーバンライナーがやってくる近鉄線のどてうえ高架をひだりにくぐっていく。くぐりぬけたひだりに側線群。
いや、ほれにしてもひどいのりごここちだ。ごとごとごとごとゆれながら電車ははしる。
かわをわたってすぐに播磨(はりま)に停車。みぎかためんのりば。
みぎぶくらみのいきちがい分岐を直進して、下深谷(しもふかや)に停車。桑名いきふつうといきちがい。
あじけないステンレス電車じゃなくて、かどのとれたまるみのあるみずいろとおうどういろの電車だ。
やますそをいく。ひだりに養老山地、みぎにたんぼをへだてて揖斐川。ほんな地形だ。
下野代(しものしろ)に停車。ひだりかためんのりば。
ガーダー橋でかわをわたる。
みぎぶくらみのいきちがい分岐を直進して、多度(たど)に停車。多度大社の多度だ。
ひだりにりっぱな駅舎。
ガーダー橋で多度川をわたる。
みぎ車窓かわしも。たんぼのむこうにみえる防風林は揖斐川のもんか長良川のもんか。はるかかなたにそびえるのは名古屋の摩天楼か。
みぎに地形がひらけてくる。
電車は60キロですすむ。苦痛のおそさだ。
ひだりぶくらみのいきちがい分岐をひだりにはいって、美濃松山(みのまつやま)に停車。ちょっとしたまちだ。このえきから海津市(かいづし)の区域にはいった。ここをしゅっぱつする時点で乗客は5人。2両あわせてたったの5人。
石津(いしづ)に停車。みぎかためんのりば。まえに上石津(かみいしづ)ってとこにいっただけど、この石津と関係があるのか。美濃松山でのってきたきっぷうりのおじさんがここでおりる。
きたにすすむ。
トンネルをくぐる。やまをくぐったのかっておもったらかわだった。盤若谷(はんにゃだに)っていうかわをくぐった。天井川なだ。
ひだりぶくらみのいきちがい分岐をひだりにはいって、美濃山崎(みのやまざき)に停車。桑名いきふつうといきちがい。これもかどのとれたまるみのあるおうどういろの電車だ。こういう電車がよかったな。
連続してトンネルをくぐる。これもやまをくぐったじゃなくて、山崎北谷っていうかわをくぐった。
みぎに揖斐川の堤防がちかづいてくる。
堤防からはなれていく。
みぎ、たんぼのむこうに4連水門。
まちにはいっていく。
ガーダー橋で羽根谷(はねだに)をわたる。
ひだりぶくらみのいきちがい分岐をひだりにはいっていって、駒野(こまの)はしましきのりばみぎがわにとうちゃく。9時15分。ここが旧南濃町(なんのうちょう)の代表駅になる。旧南濃町が旧海津町、旧平田町と合併していまの海津市になっとる。
のってきた電車をみおくり。
駒野のえきから海津市役所に移動
駒野のまちはえきのみぎがわで、はんたい線かためんのりば直結のかいさつをでる。とりあえずこっから海津市役所にいきたい。旧海津町やくばが海津市役所になっとるだ。でも、どうやっていく。駅舎のまえにコミュニティーバスのバス停はあるけど、本数もすくないし海津市役所にいくのかもようわからん。あるいていくにもちょっととおいしってことで、タクシーをよぶ。スイトタクシーっていうタクシー。
タクシーをまつあいだに電車見物。桑名いきふつうのステンレス電車がはいってきて、まっとったひとたちがのりこんでいく。電車は3両編成で、まえから7912、7812、7712。
さて、タクシーがやってきて、しゅっぱつ。駒野のまちをひがしにぬけていく。
ぬけてすぐにはしをわたる。揖斐川にならんでながれる津屋川(つやがわ)にかかるはしをわたって、連続して揖斐川にかかる福岡大橋をわたる。
福岡交差点を直進。ひだりに海津警察署。
まちにはいっていって、大江川にかかる大江川橋をわたる。ひだり車窓かわしも。
馬目(まのめ)交差点を右折。大江川にかかる大江新橋をわたる。
9時56分、海津市役所にとうちゃく。料金1,610円。運転士さんが用がおわるまでまっとりましょうかっていってくれるけど、これはおことわり。ここを起点にまちあるきをするだ。
高須のまちをあるく
とりあえず海津市役所のたてもんにはいる。きれいなたてもんだ。みんなあいさつしてくれるのもうれしい。まどぐちにおったひとをつかまえて、「駒野のえきからここまでタクシーできただけど、バスはないのか」ってきいてみると親切にこたえてくれる。でも、どうも経路がわかりにくい。ただ、市外の岐阜羽島駅からくるバスがあるってきいて、これはつかえるかもしれんっておもった。岐阜羽島駅からみなみに海津市にはいってきて、おちょぼ稲荷のある旧平田町の区域をとおって海津市役所までくるバスだ。機会をみてのってみたいな。
海津市歴史民俗資料館のばしょをきいて、あるいていく。おしえてもらったとおりに東南方向にあるいていくだけど、なかなかたどりつかん。海津市役所をふくめて一帯はまちからひがしにはずれたとこにあるだけど、なかなかほれらしいたてもんがあらわれん。これだっておもったたてもんはちがっとって、さらにあるいていく。
おしろみたいなたてもんのせなかがみえとって、まさかこれじゃないよなっておもいつつおもてにまわっていってみると、これだった。これが海津市歴史民俗資料館のたてもんだった。なんかのみせがひとよせにおしろみたいなたてもんにしとるのかっておもっただけど、ほじゃなかった。ばしょは大江川のほとりになる。タクシーで2回わたった大江川のほとりだ。
資料館のなかにはいって、高須城下の文字にめがいく。えっ! ここってじょうかまちだったのか! 旧海津町の中心って高須ってまちだったのか! いや、はじめてしった。かべに掲示してあるてがきの地図がすてきだ。
いまの高須のまちの現況とじょうかまち時代のまちわりをかさねた地図。ほんまるからにのまる、さんのまる、武家やしき、まちや。すべての区域がいまのまちにかさなっとる。いや、おどろいた。ほんまるはまちわりのいちばんきたがわ、タクシーでわたってきた大江川橋のとこにある。
展示品は輪中(わじゅう)のことが中心。旧南濃町の区域はちがうけど、旧海津町と旧平田町の区域は、にしに揖斐川、ひがしに長良川にはさまれた輪中のなかにあるだ。
むかしのうち。天井が「ふみ天井」にしてあって、洪水のときにはほのうえにあがれるようにしてある。
あげぶね。のきさきやどまの天井にこのあげぶねをつるしといた。
3階は高須城の再現。能舞台がある。しろのなかにあった能舞台だ。
御書院之間(ごしょいんのま)。
ひろまからうらに大江川がみはらせる。ほんもんのしろからもこうやって大江川がみえたはずで、ほれをおもいおこさせるようになっとるだ。
特筆すべきは高須の4兄弟。むかってみぎから尾張徳川慶勝(とくがわよしかつ)、尾張徳川茂徳(とくがわもちなが)、会津松平容保(まつだいらかたもり)、桑名松平定敬(まつだいらさだあき)。いや、松平容保とかばりばりきいたことのあるなまえだわ。江戸時代をつうじてあった高須藩だけど、幕末にこんななのあるひとたちをよにだしとっただ。おどろき。
1階のゆかに輪中模型。Y字をなす揖斐川と長良川のまんなかに輪中がひろがる。
資料館をでて高須をまちあるき。きょうはじめてしった高須ってなまえのじょうかまちをまちあるき。
海津市役所きたの馬目町(まのめちょう)交差点を左折。みちをにしにはいっていく。左右にいくつかみせがあって街道のふぜいがある。じょうかまち時代のまちわりでまちやだったとこだ。グーグル地図をみると高須街道ってかいてある。
高須街道からみなみにはいって、浄土真宗大谷派高須別院におまいり。
高須別院からにしにいってつきあたった南北のとおりをきたにいく。ここもまちやのうちでじょうかまちのほのかなふぜいがある。ひだりにOK銀行海津支店。いまもここがまちの中心なだ。
まちや、武家やしき、さんのまるのさかいめ、東西にながれるおがわにめんしてある殿町ポケットパークのとこに「高須城とじょうかまち」の説明がきを発見。「松平氏は、尾張藩2代藩主徳川光友のこ松平義行を祖として明治までつづいた。尾張藩の支藩として、このあたりの1万5千石のほか信濃のくに伊那郡に1万5千石を領地しとった。松平氏の居館は、このきたにある西大江川のほとりにあった。すべてのみちは、内部をみとおせんようにかぎのてになっとった。じょうかまちはしろのみなみにひろがり、現在の岐阜県立海津明誠高校(かいづめいせいこうこう)のあたりや海津市立高須小学校のあたりに諸役所や武家やしきがならんどった。まちやは武家やしきのひがしのいちだんとたかい自然堤防のうえにのきをつらねとった」ってかいてある。なるほど、高須藩は尾張藩の支藩だっただ。徳川御三家のひとつ尾張徳川家の支藩って地位にあっただ。ほいで、幕末に高須の4兄弟をよにだすこともできただ。
殿町ポケットパークのにしに主水橋。しゅぬりの欄干のついたこのはしをわたって、武家やしきからさんのまるにはいっていく。
さんのまるからほのままにのまるにはいっていって、海津明誠高校のうらに大江川。この大江川がじょうかまちの北限になる。すぐほこにみえるはしがタクシーでわたってきた大江川橋で、きたに蛇行する大江川のうちがわがほんまるになる。こっからみて大江川橋のひだりがわがほんまるだ。
蛇行する大江川の堤防をにしにあるいてほんまるのにしがわにまわっていったとこで、うしろからきた男子中学生がこんにちわ!ってあいさつしてくれる。きもちいいな。
しろあとばしまでいったとこで、ほんまるをふりかえる。CP流通センターってかんばんのみえるおおきなたてもんのあるへんがほんまるだっただ。
タクシーでとおってきたみちをにしにもどりながら、めしやをさがす。
海津警察署をすぎて、みぎにペニーレーンってみせを発見。とんかつ定食を注文。食后ののみもんはアイスコーヒーにする。きょうはけっこうあっついだ。
みせをでて、こっから駒野のえきまで2.2キロ。あるいて28分。いきはタクシーできたけど、あるいていくことにするか。
にしにあるいて薩摩カイコウズ街道のかんばんを発見。いや、このみちってこんななまえがついとったのか。いや、岐阜県のこんなとこに薩摩のなまえがあるだけど、木曽川治水に薩摩藩のはたらきがあったってのはきいたことがある。ほの関係でこんななまえの街道があるにちがいない。
にしにすすんで、福岡交差点を直進。
揖斐川にかかる福岡大橋をわたる。いきはタクシーですーってわたっちゃったけど、あるくとけっこうながい。おまけにわきをとおっていくくるまの風圧でぼうしがとばされそうになる。
連続して津屋川にかかるはしをわたる。ひだり、すぐかわしもに4連水門。いきに電車の車窓にみたのは津屋川の4連水門だった。
駒野のまちをぬけて駒野のえきにとうちゃく。
駒野からかえる
駒野14時23分の桑名いきふつうにのることにする。電車は2時間に3本。40分おきだ。かいさつをはいってやってきた電車は、また東急ステンレス電車。車両番号は7901と7701。まったくいきといっしょだ。
美濃山崎で東急ステンレス電車といきちがい。
下深谷でまた東急ステンレス電車といきちがい。
がらがらだった車内にちょっと乗客がふえる。
かわのすぐてまえ、播磨に停車。
みぎに側線群。
近鉄線のどてうえ高架をくぐってみぎにゆみなっていく。
桑名は養老線4番のりばにとうちゃく。
のりばにあるかいさつをでて、橋上コンコースにあがる。エスカレーターもエレベーターもなくてかいだんをあがる。
橋上コンコースの売店でみやげをかって、近鉄のかいさつをはいる。
7番のりばにおりたとこで、はんたい線6番のりばにひのとりがはいってくる。かっこいいな。
7番のりばにはいってきた、桑名15時20分の名古屋いき特急にのる。電車はアーバンライナー。はなやかだ。養老線のがたごと電車とおおちがいだ。
座席は2号車3A。みぎまどがわはしらまえ。
揖斐川、長良川ってつづけてわたる。旧海津町、旧平田町の輪中をはさんではなれとったふたつのかわも、しもに河口ちかくまできてならんでながれとる。
15時28分、名古屋にとうちゃく。正面かいさつをでたとこのチャオプレッソでひとやすみ。
名鉄のかいさつをはいって、名古屋16時33分の豊橋いき特急にのる。電車はパノラマスーパーで、1号車展望席3Aにすわっていく。ひだりまどがわはしらまえ。
通過すべき有松で急停止。直前のふみきりでトラックのうしろがはみだしとったとのことで、安全かくにん。のりばの範囲内でちょこっと前進。ふみきり内安全かくにんのあとしゅっぱつ。急停止から2分ぐらいかかった。
16時58分の定刻からちょこっとおくれてしんあんじょうは5番のりばにとうちゃく。
橋上コンコースをのぼりおりして2番のりばに移動。しんあんじょう17時7分の西尾いきふつうにのる。電車はきんぎょばちのあっかい電車。
17時15分、ふるいにとうちゃく。うちにかえる。