駿府城みてきた

2023.1.13 (11) 駿府城 - たつみやぐら 2000-1500

駿府城みてきた。まあはい大河ドラマ「どうする家康」もはじまっちゃっとるだけど、初回にいろんなばめんがでてきたなかで桶狭間や丸根とりで、大高城はじぶんのあしでみてきたのに、かんしんの駿府城だけはちゃんとみたことがないことがざんねんでこんかいいってきた。このしろこそが徳川家康のおもいのこもったしろだってみこんで、ほの空気をかんじてきた。

◇            ◇

新幹線を静岡駅でおりて、呉服町どおり(ごふくちょうどおり)をにしにいく。これが東西のめぬきどおりだ。呉服町交差点から東海道をかねる。みぎからきた東海道が右折して呉服町どおりに合流しただ。あおばどおりをよこぎるとこで、みぎ、とおりのつきあたりに静岡市役所のたてもんがみえる。

2023.1.13 (4) 駿府 - ふだのつじ 1870-1500

十字路を右折して、まじわる七間町どおり(ひちけんちょうどおり)をきたにいかあってとこで、十字路西南の伊勢丹ビルのまえにふだのつじのいしぶみを発見。東海道はこの十字路を左折して七間町どおりをみなみにいくだけど、ほの東海道がまがりみちになるとこにふだのつじがあったってわけだ。

2023.1.13 (5) 静岡県庁 1960-1500

七間町どおりをきたにいったしょうめんに静岡県庁のたてもん。モルタルぬりの外壁、たてながのまどにあっかいやね。県庁交差点から駿府城そとぼりをわたったむこうがわにあるだけど、なんちゅうすてきな西洋建築だ。たちよる予定じゃなかっただけど、うけつけのおねえさんにことわってなかを見学。たてもんは平面にイロハのロの字がたの構造で、上下の階をつなぐいしのかいだんのすりへりぐあいのあじのあること。

2023.1.13 (6) 静岡県庁 - 富士山 1900-1400

屋上に喫煙所を発見。東北方向にみえた富士山に感激。

静岡県庁のしきちをうらにぬけて、にのまるばしでなかぼりをわたって、がっちりしたいしがきづみのきれめをぬけてしろにはいる。厳密にいうとこっからがにのまるで、そとぼりをわたってはいった静岡県庁があるとこも城内さんのまるになるだけど、ふんいきてきににのまるからなかがしろってかんじになる。

はいってすぐに説明がきを発見。駿府城の歴史となわばり図をかくにん。徳川家康がひとじち時代をここですごしたこと、浜松城からここにうつるにあたってはじめて天守閣をつくったこと、将軍職をむすこにゆずっておおごしょとなってみたびここにうつるにあたって天守閣をつくりなおしたことがかいてある。ほいから、なかぼりからさらにうちがわにうちぼりがあってにのまるとほんまるとをわけとることがなわばり図からわかるだけど、いまうちぼりはうまっちゃっとってない。

さて、どっからどうまわっていかあかな~っておもっとったとこでちゃみせを発見。静岡おでんをくう。

2023.1.13 (9) 駿府城 - ひがしごもん 2000-1500

ちゃみせからひがしにいってひがしごもん。むきだしになったはりのふとさに圧倒される。

2023.1.13 (10) 駿府城 - ひがしごもん 1970-1490

もんをくぐってますがたにはいる。いや、まわりをたっかいいしがきづみのたてもんでかこわれて、なかぼりをわたってはいってきたてきはひとたまりもないだらあ。

2023.1.13 (12) 駿府城 - ひがしごもん 2000-1500

なかぼりのそとにでてひがしごもんをみてみる。すっごい威圧感だ。

2023.1.13 (11) 駿府城 - たつみやぐら 2000-1500

ひがしごもんのみなみ、にのまるの東南かどにたつみやぐら。壮観だ。

こんどはひがしごもんとたつみやぐらのなかを見学。駿府城関連年表をかくにん。天正期の1585年、徳川家康駿府城築城に着手。慶長期の1607年、徳川家康駿府城大改修に着手。

2023.1.13 (14) 駿府城 - 復元した竹千代てならいのま 1940-1500

たつみやぐらのなかに復元した竹千代てならいのま。臨済寺(りんざいじ)にあったもんで、幼名竹千代時代の徳川家康はここで住職の太原雪斎(たいげんせっさい)から学問をまなんだっていう。

2023.1.13 (16) にのまるごもん - いしがき刻印 2000-1500

にしに移動。にのまるごもんまわりのいしがきにいしがき刻印を発見。まるによこせん3本の刻印。

2023.1.13 (17) にのまるごもん - いしがき刻印 2000-1500

四角に棒をさしこんだかたちの刻印。それぞれなんとか藩をしめすもんだそうで、慶長期の駿府城大改修が天下普請(てんかぶしん)によっておこなわれたことをしめすもんにちがいない。

2023.1.13 (18) 駿府城 - ひつじさるやぐら 1990-1490

さらににしに移動。にのまるの東南かどにたつひつじさるやぐらを見学。

展示資料に徳川家康公歴史年表をかくにん。徳川家康が3回にわたって駿府におったことが強調してある。

2023.1.13 (20) 駿府城 - ひつじさるやぐら 2000-1500

内部はゆかがはずしてあって1階から3階までつつぬけ。

2023.1.13 (21) ひつじさるやぐら - 富士山 2000-1500

いりぐちからでたとこで東北方向に富士山をのぞむ。駿府城はにしあがりの地形のうえにあって、いちばんにしにあるひつじさるやぐらからいちばんよう富士山がみえるってことだったけど、ちょっとかすんどる。

2023.1.13 (22) 駿府城 - 戦争犠牲者追悼碑「とこしえ」 1500-2000

きたにあるいて「とこしえ」の銅像。戦争犠牲者追悼碑として、おさなごふたりをかかえたおかあさんの銅像としたに2羽のきんいろのはと。

2023.1.13 (23) 駿府城にしもんばし - なかぼり 2000-1500

にしもんばしのうえからみなみむきになかぼりをみる。

2023.1.13 (24) 駿府城 - 慶長期天守台 1600-1200

にのまるんなかにもどって、天守台発掘調査げんばを見学。にしのほうにでっぱっとるのが慶長期天守台。にのまるからうちぼりをへだてて天守台のいしがきがあったことがわかる。

2023.1.13 (27) 駿府城 - 天正期天守台 1600-1200

おくのほうに天正天守台。慶長期天守台がみどりいろのコーンでかこってあるのにたいして、天正天守台はあっかいコーンでかこってあることで区別がつく。

ところで慶長期天守台が天正天守台にかぶせつつにしにずらしたうえで拡張してできとるだけど、あたらしくできたはずの慶長期天守台のいしがきが天正天守台よりひくい位置にあるのはなんでだ。発掘調査げんばわきの簡易資料館で学芸員のおねえさんにこの疑問をぶつけてみると、「明治期以降のある時期に公共施設かなんかをつくるにあたって、基礎工事のじゃまになって慶長期天守台のいしがきのうえのほうが撤去されちゃってこうなっとる」とのこと。けっして慶長期天守台のいしがきのほうがひくいわけじゃなかった。

2023.1.13 (25) スペイン国王からおくられた洋時計 1320-1500

また簡易資料館のなかには徳川家康がスペイン国王からおくられた洋時計の複製品も展示してある。おおごしょとして駿府におった時代におくられたもんであることを学芸員のおねえさんにかくにん。ほんもんは久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)にあるとのこと。

2023.1.13 (28) 駿府城 - 徳川家康の銅像 1600-1200

発掘調査げんばのひがし、ほんまるのひがしに徳川家康銅像

2023.1.13 (29) 駿府城きたごもんばし - そとぼり 1950-1500

きたに移動。きたごもんばしのうえからにしむきになかぼりをみる。こっからでたとこには静岡市中央体育館があって、体操服の高校生らがさかんににのまるからでたりはいったりしとる。しろがまちにとけこんどるかんじがいいな。

にのまるんなか、東北部分にある紅葉山庭園(もみじやまていえん)を見物。

2023.1.13 (30) 駿府城 - おおてごもん 1990-1500

にのまるからさんのまるにでて静岡県庁の東南におおてごもん。すっごいたっかいいしがきにかこわれたおおてごもん。

2023.1.13 (31) おおてもんばし - そとぼり 1940-1480

ほのままつづくおおてもんばしでそとぼりをわたってさんのまるからでる。おおてもんばしはどばしで、はしのうえからにしに、七間町どおり県庁前交差点から静岡県庁しょうめんにつながるどばしがみえる。

かえりは両替町どおり(りょうがえちょうどおり)をとおって静岡駅にもどる。いきは呉服町どおりをとおってきたけど、かえりはまあ1本みなみの両替町どおりをとおっていくことにした。こっちが歓楽街になる。

2023.1.13 (32) 入船鮨(静岡) - とろあぶりどん 1560-1160

とちゅうにみつけた入船鮨ってみせにはいって、とろあぶりどんを注文。ごちそうさまでした。

たびに満足してかえりの新幹線にのる。

2023.1.13 (26-1) 駿府城ひとりあんない 1530-1520

〔2023年1月13日訪問〕


【駿府城の説明がき】
【駿府城関連年表】
【竹千代てならいのま】
【徳川家康公歴史年表】