駿府城みてきた。まあはい大河ドラマ「どうする家康」もはじまっちゃっとるだけど、初回にいろんなばめんがでてきたなかで桶狭間や丸根とりで、大高城はじぶんのあしでみてきたのに、かんしんの駿府城だけはちゃんとみたことがないことがざんねんでこんかいいってきた。このしろこそが徳川家康のおもいのこもったしろだってみこんで、ほの空気をかんじてきた。
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新幹線を静岡駅でおりて、呉服町どおり(ごふくちょうどおり)をにしにいく。これが東西のめぬきどおりだ。呉服町交差点から東海道をかねる。みぎからきた東海道が右折して呉服町どおりに合流しただ。あおばどおりをよこぎるとこで、みぎ、とおりのつきあたりに静岡市役所のたてもんがみえる。
十字路を右折して、まじわる七間町どおり(ひちけんちょうどおり)をきたにいかあってとこで、十字路西南の伊勢丹ビルのまえにふだのつじのいしぶみを発見。東海道はこの十字路を左折して七間町どおりをみなみにいくだけど、ほの東海道がまがりみちになるとこにふだのつじがあったってわけだ。
七間町どおりをきたにいったしょうめんに静岡県庁のたてもん。モルタルぬりの外壁、たてながのまどにあっかいやね。県庁交差点から駿府城そとぼりをわたったむこうがわにあるだけど、なんちゅうすてきな西洋建築だ。たちよる予定じゃなかっただけど、うけつけのおねえさんにことわってなかを見学。たてもんは平面にイロハのロの字がたの構造で、上下の階をつなぐいしのかいだんのすりへりぐあいのあじのあること。
屋上に喫煙所を発見。東北方向にみえた富士山に感激。
静岡県庁のしきちをうらにぬけて、にのまるばしでなかぼりをわたって、がっちりしたいしがきづみのきれめをぬけてしろにはいる。厳密にいうとこっからがにのまるで、そとぼりをわたってはいった静岡県庁があるとこも城内さんのまるになるだけど、ふんいきてきににのまるからなかがしろってかんじになる。
はいってすぐに説明がきを発見。駿府城の歴史となわばり図をかくにん。徳川家康がひとじち時代をここですごしたこと、浜松城からここにうつるにあたってはじめて天守閣をつくったこと、将軍職をむすこにゆずっておおごしょとなってみたびここにうつるにあたって天守閣をつくりなおしたことがかいてある。ほいから、なかぼりからさらにうちがわにうちぼりがあってにのまるとほんまるとをわけとることがなわばり図からわかるだけど、いまうちぼりはうまっちゃっとってない。
さて、どっからどうまわっていかあかな~っておもっとったとこでちゃみせを発見。静岡おでんをくう。
ちゃみせからひがしにいってひがしごもん。むきだしになったはりのふとさに圧倒される。
もんをくぐってますがたにはいる。いや、まわりをたっかいいしがきづみのたてもんでかこわれて、なかぼりをわたってはいってきたてきはひとたまりもないだらあ。
なかぼりのそとにでてひがしごもんをみてみる。すっごい威圧感だ。
ひがしごもんのみなみ、にのまるの東南かどにたつみやぐら。壮観だ。
こんどはひがしごもんとたつみやぐらのなかを見学。駿府城関連年表をかくにん。天正期の1585年、徳川家康が駿府城築城に着手。慶長期の1607年、徳川家康が駿府城大改修に着手。
たつみやぐらのなかに復元した竹千代てならいのま。臨済寺(りんざいじ)にあったもんで、幼名竹千代時代の徳川家康はここで住職の太原雪斎(たいげんせっさい)から学問をまなんだっていう。
にしに移動。にのまるごもんまわりのいしがきにいしがき刻印を発見。まるによこせん3本の刻印。
四角に棒をさしこんだかたちの刻印。それぞれなんとか藩をしめすもんだそうで、慶長期の駿府城大改修が天下普請(てんかぶしん)によっておこなわれたことをしめすもんにちがいない。
さらににしに移動。にのまるの東南かどにたつひつじさるやぐらを見学。
展示資料に徳川家康公歴史年表をかくにん。徳川家康が3回にわたって駿府におったことが強調してある。
内部はゆかがはずしてあって1階から3階までつつぬけ。
いりぐちからでたとこで東北方向に富士山をのぞむ。駿府城はにしあがりの地形のうえにあって、いちばんにしにあるひつじさるやぐらからいちばんよう富士山がみえるってことだったけど、ちょっとかすんどる。
きたにあるいて「とこしえ」の銅像。戦争犠牲者追悼碑として、おさなごふたりをかかえたおかあさんの銅像としたに2羽のきんいろのはと。
にしもんばしのうえからみなみむきになかぼりをみる。
にのまるんなかにもどって、天守台発掘調査げんばを見学。にしのほうにでっぱっとるのが慶長期天守台。にのまるからうちぼりをへだてて天守台のいしがきがあったことがわかる。
おくのほうに天正期天守台。慶長期天守台がみどりいろのコーンでかこってあるのにたいして、天正期天守台はあっかいコーンでかこってあることで区別がつく。
ところで慶長期天守台が天正期天守台にかぶせつつにしにずらしたうえで拡張してできとるだけど、あたらしくできたはずの慶長期天守台のいしがきが天正期天守台よりひくい位置にあるのはなんでだ。発掘調査げんばわきの簡易資料館で学芸員のおねえさんにこの疑問をぶつけてみると、「明治期以降のある時期に公共施設かなんかをつくるにあたって、基礎工事のじゃまになって慶長期天守台のいしがきのうえのほうが撤去されちゃってこうなっとる」とのこと。けっして慶長期天守台のいしがきのほうがひくいわけじゃなかった。
また簡易資料館のなかには徳川家康がスペイン国王からおくられた洋時計の複製品も展示してある。おおごしょとして駿府におった時代におくられたもんであることを学芸員のおねえさんにかくにん。ほんもんは久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)にあるとのこと。
きたに移動。きたごもんばしのうえからにしむきになかぼりをみる。こっからでたとこには静岡市中央体育館があって、体操服の高校生らがさかんににのまるからでたりはいったりしとる。しろがまちにとけこんどるかんじがいいな。
にのまるんなか、東北部分にある紅葉山庭園(もみじやまていえん)を見物。
にのまるからさんのまるにでて静岡県庁の東南におおてごもん。すっごいたっかいいしがきにかこわれたおおてごもん。
ほのままつづくおおてもんばしでそとぼりをわたってさんのまるからでる。おおてもんばしはどばしで、はしのうえからにしに、七間町どおり県庁前交差点から静岡県庁しょうめんにつながるどばしがみえる。
かえりは両替町どおり(りょうがえちょうどおり)をとおって静岡駅にもどる。いきは呉服町どおりをとおってきたけど、かえりはまあ1本みなみの両替町どおりをとおっていくことにした。こっちが歓楽街になる。
とちゅうにみつけた入船鮨ってみせにはいって、とろあぶりどんを注文。ごちそうさまでした。
たびに満足してかえりの新幹線にのる。
〔2023年1月13日訪問〕