朝日新聞出版『旅と鉄道』2014年1月号にのっとった桐生典子さんの文章をつぎに紹介する。
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ながめているだけでみたされるうつくしいおおきなすがた
岳南電車の終点、岳南江尾(がくなんえのお)から東海道本線の東田子の浦(ひがしたごのうら)に移動し、さらに三島(みしま)に到着したのは16時14分だった。富士山の曲線と三島大社のやねをイメージしたという三島駅みなみぐちの駅舎をながめたあと、三島と伊豆半島内陸の修善寺をつなぐ伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん)へ。こんやは、終点からふた駅てまえの大仁(おおひと)の温泉に宿泊予定だ。
16時45分発、3両編成の3000系に乗車。車内のつり広告スペースでは、じもと小学生による〔よいこの絵画展〕が開催されていた。くれなずむ車窓をながめながら、修善寺という地名に、夏目漱石の「修善寺の大患」をおもいだした。そういえば、漱石は『三四郎』で、富士山についてかいている。東海道本線の車内での会話シーンだ。
〔あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山をみたことがないでしょう。いまにみえるからごらんなさい。あれがにほんいちの名物だ。あれよりほかにじまんするものはなにもない。ところがその富士山は天然自然にむかしからあったものなんだからしかたがない。われわれがこしらえたものじゃない〕
ああ、なんとしてもおひざもとで、もういちど富士山をながめたいなあ。
翌日の天気予報はくもり。それでも早朝ならみえる確率がたかいとやどのおかみさんにおしえてもらい、よくあさは4時半に起床した。たかだいにたつ大仁ホテルに協力いただき、まだよあけまえ、北西の方角にひらけたにわにたつ。
5時半すぎ、ことりがさえずりはじめた。しらんできたそらに、すそまですっきりとのびた富士山の全景があらわれたのである。
この快感はなんだろう。ながめているだけで、こころがみちてくる。なんの過不足なく、畏怖としたしみというあいはんする感情につつまれる。
このひ、静岡県のひので時刻は5時54分。富士山にたなびくくもが、ほんのりさくらいろになってきた。眼下のさとでは、駿豆線の3両編成の列車が、はやおきのひとたちをのせてはしっている。わたしたちは、完璧なまでにうつくしくおおきなものにみまもられている。しずかに、そうかんじる。
与謝野晶子が1940年によんでいた。
〔ゆきしろき 富士にむかいてくすりのむ 延寿のすべをしるようにわれ〕9時16分、修善寺発三島いきの3000系に乗車した。駿豆線には、富士山世界文化遺産を記念したヘッドマークつきが1編成あるそうだが、ざんねんながらそれにはあたらなかった。
とちゅう、遠足らしきじもとの小学生たち40人ほどがわらわらとのってきてにぎやかだ。列車は三島にむけてはしるが、本日のそらはうすぐもにおおわれ、ざんねんながら富士山はもうみえない。ほんらいなら田京(たきょう)から三島田町(みしまたまち)のあいだの眺望がよく、とりわけ大場(だいば)から三島二日町(みしまふつかまち)間の車窓の富士山はすばらしいという。
9時52分、三島に到着。「駅そばグランプリにかがやきました」という看板にひかれ、10時のおやつに、しいたけそばをいただいた。修善寺でとれたというしいたけがおいしい。じつはわたし、これがたちぐいそばのはつ体験。たびの達人にちかづけるようでたのしい。
さて、東海道本線三島発10時7分の熱海いきから、さらにのりかえて小田原へ。とちゅう、16年間におよぶ難工事でしられる丹那トンネルを通過。こころしてかんじいろうとおもっていたのに、はやおきだったためねむってしまったらしい。記憶にない・・・。
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(さんこう)
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