塚越古墳

2020.4.23 (2) 塚越古墳 - 后円部てっぺんから 2000-1500

わがふるいのまちに塚越古墳(つかごしこふん)っていう古墳があって、いってみた。なんじゅうねんもふるいにすんどりながら、はじめていってみた。古井桜井古墳群を形成するひとつの古墳だ。

◇            ◇

2020.4.23 (1) 塚越古墳 - ひがしから 1200-900

にしがわから接近。ふくろこうじのつきあたり、フェンスのすぐむこうに古墳はあるだけど、たけやぶにかくれて、ようわからん。

ひがしがわから願力寺(がんりきじ)をぬけていけるってきいとって、みなみまわりにまわっていく。願力寺のにしどなりに、はたけしごとをしてみえるおとこのひとを発見。このひとが、願力寺をぬけていけるっておしえてくれたひとだ。塚越古墳をみにいくとこだってこえをかけると、案内してくれる。おてらのひとにこえをかけて、おくりのわきをぬけていく。

あった! これが塚越古墳か! でっかい。きたむきの前方后円墳(ぜんぽうこうえんふん)だ。

2020.4.23 (2) 塚越古墳 - 后円部てっぺんから 2000-1500

后円部のてっぺんにのぼって、きたをのぞむ。かなりたかさのある后円部だ。古墳は洪積台地(こうせきだいち)のはしにあって、后円部のたかさとあわせて、したの、たんぼがひろがる沖積平野(ちゅうせきへいや)がみわたせる。いや、ばつぐんのみはらしだ。「われはふるいのおおきみなり」。ほんなきぶんにさせてくれる。

2020.4.23 (3) 塚越古墳 - 后円部 1600-1200

后円部のきたがわにおりて、ほのたかさをさいかくにん。

2020.4.23 (4) 塚越古墳 - 前方部のうえから后円部をみる 2000-1500

前方部にわたって、后円部をふりかえってみる。前方部のながさもそうとうにながい。

2020.4.23 (5) 塚越古墳 - 全景 2000-1500

前方部のきたがわにおりて、古墳の全体をみる。じつにくっきり立体感のある古墳だ。

2020.4.23 (6) ふるい - 勢井前川(せいまいがわ) 2000-1500
2020.4.23 (7) 塚越古墳 - 勢井前川から 2000-1500

きたに、たんぼんなかをながれる勢井前川(せいまいがわ)のとこまでいって、古墳をふりかえってみる。洪積台地から沖積平野におりるがけをおおう、たけやぶがとりはらわれたとこに古墳がみえる。ちょっとまえまでは古墳のとこもたけやぶでおおわれとって、まったくみることもできんかったし、接近することもできんかった。いま古墳をみにいくなら、こっからいくのがいい。

古墳のとこにもどって、わきにたつ説明がきをかくにん。

2020.4.23 (8) 塚越古墳 - 説明がき 1600-1200

市指定史跡

塚越古墳

1961年10月1日指定

4世紀末の前方后円墳です。全長は46メートル、后円部のたかさは4.5メートル、前方部は1.6メートルあります。后円部のすそまわりと后部、それに前方部の西側とがけずりとられております。1950年、墳頂の一部が発掘され、碧玉製紡垂車破片と鉄製工具破片、土師器(はじき)破片が発見されました。

たかくおおきな后円部と、ひくくながくのびる前方部をもつ、矢作川流域最古の古墳です。

郷土の文化財を大切にしましょう

1980年3月31日

あんじょうし教育委員会

いや~、矢作川流域最古の古墳か。ほこらしいな。

〔2020年4月23日訪問〕


(さんこう)

  • 志段味古墳群(しだみこふんぐん)のたび - 2020年2月よっか - あきひこゆめてつどう|2020/02/18
    • こんどは古墳時代濃尾平野っていう地図。黒沢達矢さんってひとがかいとる。うみはいまよりおくのほうまであって、古墳はうみのちかくややまのうえなど、まわりからようみえるばしょにつくられとったとのこと。
    • わがあんじょう市内の二子古墳と姫小川古墳も表示されとる矢作川も流路がいくつかあって、このふたつの古墳のちかくをながれる鹿乗川(かのりがわ)もほのひとつになっとる。
      (※ 鹿乗川の支流が西鹿乗川。さらに西鹿乗川の支流が勢井前川
    • 古墳時代の年表もある。200年代から645年大化の改新のあとまでが古墳時代になる。最古の古墳は200年代なかごろの箸墓(はしはか)古墳で、最新は高松塚(たかまつづか)古墳。さらに展示の資料でおべんきょう。「志段味古墳群のここがすごい」ってとこで、「名古屋でいちばんようけ古墳がつくられたこと」があげられとる。東谷山の頂上からふもとにかけて古墳がひろがっとるだ。東谷山は名古屋でいちばんたかいやま。ほいから、「古墳はやまのうえやがけのうえっていう、庄内川のほうからようみえるばしょにつくられとる」とのこと。「ここ志段味は、濃尾平野から庄内川上流の山間部にはいっていく交通の要衝にあって、いきかうひとびとに『われわれがここを支配しとるだぞ』ってことをしめすためにほのようにした」とのこと。ほー。ほいから、古墳もかたちによって格づけがあるみたいだ。最上位がごぞんじ前方后円墳。2ばんめに帆立貝式古墳。さっきみた勝手塚古墳で、前方部がおおきくないやつだ。3ばんめに円墳(えんぷん)。4ばんめが最下位で、方墳(ほうふん)。
  • 断夫山古墳、熱田記念橋、青大悲寺 - 神宮前からぶらぶら - あきひこゆめてつどう|2019/02/17
    • 断夫山古墳
      東海地方最大の前方后円墳で、全長151メートル、前方部のはば116メートル、后円部の直径80メートル、前方部のたかさ16.2メートル、后円部のたかさ13メートルの規模をほこる。
      前方部と后円部のあいだのくびれ部に「つくりだし」とよぶ小丘部がにしがわにある。后円部は3段築成であったとおもわれ、1段めに須恵質と土師質の円筒埴輪をめぐらしていた。
      この古墳は6世紀はじめ、尾張南部に勢力をもった尾張氏の首長のはかとかんがえられている。
  • 健康のみちヲーキング - 2016.3.5 - あきひこのいいたいほうだい|2016/03/05
    • 法蔵寺のよこをとおり、願力寺の境内をとおりぬけ、たんぼのひろがるむらのうらてにでる。塚越古墳をよこにみて、あとは一面のたんぼんなかをすすみ歴史博物館をめざす。古井もどっか1か所でいいで解説があるとよかったな。