西本郷にあるいさきいりひこのみこのはか

西本郷(にしほんごう)は蓮華寺(れんげじ)をおまいりしたついでに、いさきいりひこのみこ(五十狭城入彦皇子)のはかをおまいりしてきた。ばしょは、蓮華寺のもりの西南。宇頭えきまえの矢作西(やはぎにし)学区案内図にのっとって、あることはわかっとった。境内からみなみがわにつづくひろい墓地の一角にでもあるのかっておもってさがしたけど、ない。

2020.5.5 (6) いさきいりひこのみこのはか - いりぐち 2000-1400

いったん蓮華寺をでて、もりのひがしがわからみなみがわ、にしがわにまわりこんでいくみちをいったとこで、あった。もりの西南になる。ふもとにかんばんがたっとって、「景行天皇皇子、五十狭城入彦皇子墓、宮内庁」ってかいてある。景行天皇の皇子なだ。管理しとるのは宮内庁

2020.5.5 (7) いさきいりひこのみこのはか - いしだん 1300-1620

もりの斜面をいしだんでのぼっていく。

2020.5.5 (8) いさきいりひこのみこのはか - はか 2000-1500

あがったとこがひらばになっとって、おくに、石柱列でかこわれた、ひくいいしがきづみのひな壇。そとづけのいしだんで、石柱列中央の鉄とびらのとこにあがれるようになっとる。鉄とびらからなかにあるのは、まんなかにある、ごくかんたんなつくりのいしのとりいと、みぎのほうにある、「景行天皇皇子、五十狭城入彦皇子墓」のいしぶみだけ。

2020.5.5 (9) いさきいりひこのみこのはか - いしぶみ 1180-1600

はかいしにあたるもんがどこにもみあたらんだけど、とにかく鉄とびらのてまえでおまいりして、かえる。

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いや、あとでわかったことだけど、じつは、ひな壇のおくのやまが和志山古墳(わしやまこふん)っていう前方后円墳だって、ほれがほのままいさきいりひこのみこのはかだっただ。どおりで、はかいしがみあたらんかったはずだ。

ほれにしても、天皇の皇子っていうえらいひとのはかが、こんな三河のくににあるってのもおどろきだな。ほいから、景行天皇の皇子っていうと、やまとたけるのみこともほなだけど、やまとたけるのみことも東征のとちゅうで、三河のくにの矢作(やはぎ)や榎前(えのきまえ)にたちよっとる。はらちがいの兄弟であるいさきいりひこのみこも三河のくにの西本郷にはかがある。これも興味ぶかいことだ。

〔2020年5月いつか訪問〕


(さんこう)

*1:「谷部」は「長谷部」のまちがいか