井上徳三郎の迎賓館

きょう2021年2月なのか、つまとふたり平戸橋までいって、すてきな洋館を発見した。井上徳三郎の迎賓館だ。まわりのようすもふくめて、以下に紹介する。

〔井上徳三郎の迎賓館〕〔豊田市民芸館〕〔中部電力越戸水力発電所〕〔平戸橋のはし〕〔安城館あと〕

◇            ◇

井上徳三郎の迎賓館

2021.2.7 (9) 平戸橋 - 旧井上家西洋館 1900-1500

豊田市民芸館のしきちの一角に、こぶりな洋館を発見。おー、井上徳三郎の迎賓館か。

旧井上家西洋館

  • このたてもんは、明治時代初期に名古屋で開催された博覧会の迎賓館として建築されたってつたえられております。ほのあと、銀行として利用されたあと、1928年、故井上徳三郎氏が経営しとった井上農場の迎賓館として、現在の豊田市井上町に移築されました。ほいで、1989年、銀行として利用されとったすがたに復元し、このばしょに移築されました。
  • たてもんの1階には、和風の連子格子(れんじごうし)のまど、2階ベランダには、西洋風の柱頭かざりのついたまるばしらや菱格子天井(ひしごうしてんじょう)があります。木造2階だて、建築面積33.38平方メートルの和洋折衷のたてもんで、明治時代の洋風建築物としては、豊田市内でゆいつのこっとるもんです。このたてもんは2000年にくにの登録文化財に登録されております。
  • みどころ
    • 玄関うえのかぶのかたちをしたまどわく
      • かぶは縁起のいいたべもんっていわれ「かぶがあがる」っていうことばにもつうじております。
    • 2階アーチがたのまどやガラス
      • 明治時代のゆがみのあるガラスで、当時のふんいきをかんじることができます。

豊田市教育委員会

井上徳三郎のなまえはついさいきん、豊田市近代の産業とくらし発見館で開催中の挙母駅開業100年展でしったばっかりだ。開業まもない猿投駅の駅舎をつくるのに、私財を投じたっていう奇特なひとだ。ほのひとがこんな迎賓館ももっとっただ。すごいな。

2021.2.7 (11) 平戸橋 - 旧井上家西洋館 1900-1450

2階の一室。

2021.2.7 (13) 平戸橋 - 旧井上家西洋館 2000-1500

いかにも洋館なまど。ガラスはゆらゆらガラス。

2021.2.7 (14) 平戸橋 - 旧井上家西洋館 1770-1490

1階から2階にあがるらせん階段。

2021.2.7 (15) 平戸橋 - 旧井上家西洋館 1500-2000

いちだんひくいとこからみあげる迎賓館。

豊田市民芸館

2021.2.7 (7) 平戸橋 - 豊田市民芸館 1600-1200

第3民芸館のまどからやはぎがわをみたとこ。ほかに第1民芸館と第2民芸館がある。

中部電力越戸水力発電

2021.2.7 (6) 中部電力越戸水力発電所 2000-1500

豊田市民芸館のしきちのちょっとかわかみに、この中部電力越戸水力発電所がある。さらにこのかわかみに越戸ダムがあるだけど、この越戸ダムができたおかげで、平戸橋勘八峡(ひらとばしかんぱちきょう)の景観がだいなしになったっていう。ダム放流のときにはいっきにみずかさがますみたいで、たしかにかわぎしのうえのほうまでよごれがついとる。むかしはあったっていう、うかいやかわくだりもいまはない。

2021.2.2 (21) 三河鉄道名勝図絵 - 三河名所案内 (1) 1700-1720
△ 三河鉄道名勝図絵(1924年)三河名所案内 〔※ 平戸橋勘八峡のうかいやかわくだりがのっとる〕

平戸橋のはし

2021.2.7 (16) 平戸橋 2000-1500

豊田市民芸館のしきちのちょっとかわしもに、この平戸橋のはしがある。こっからにしにいったとこに、平戸橋のえきがある。

安城館あと

2021.2.7 (2) 平戸橋 - 安城館駐車場 1600-1200 2021.2.7 (3) 平戸橋 - 安城館ガレージ 1600-1200

平戸橋のはしをひがしにわたったとこに、安城館(あんじょうかん)のあと。1925年の矢作川遊覧地案内図にあった、料理旅館の安城館はいまはない。むかいに安城ガレージってのがあるけど、商売がえしたのか。

2021.1.14 (94) 矢作川遊覧地案内図(1925年8月) 2820-2090
△ 1925年の矢作川遊覧地案内図


(さんこう)