矢作川の明治用水ふなとおし

2021.9.20 (14) 矢作川東岸 - 明治用水ふなとおし 1980-1470

2021年9月はつか、矢作川明治用水ふなとおしをみてきた。さきだつ2021年9月ついたち、明治用水葭池樋門(よしいけひもん)のことをききに水のかんきょう学習館をおとずれたときに、「じつは矢作川明治用水堰堤(えんてい)のわきにふなとおしがあって、船頭さんらのための旅館もあった」ってことを館員の織田さんからきいて、いってきたもんだ。

陸上交通が発達するまで、わが西三河地域では矢作川が物資輸送の大動脈だって、数十隻(すうじゅっせき)のかわぶねがいきかっとった。ところが明治用水ができたことで、取水のための堰堤がかわぶねののぼりくだりのじゃまになるようになった。ほいで、堰堤のわきにふなとおしの閘門(こうもん)をつくったってわけだ。閘門の水位を上下させることで、かわぶねののぼりくだりができるってしかけだ。パナマ運河をおもいうかべると、わかりやすい。

〔西岸から〕
〔東岸から〕
[関連年表]

◇            ◇

西岸から

西岸からみていく。

2021.9.20 (5) 矢作川 - 明治用水頭首工 1960-1440

いまの明治用水堰堤。重力式コンクリートづくりだ。

2021.9.20 (6) 矢作川 - 水源橋からしも 2000-1500

堰堤にかかる水源橋をとちゅうまでいって、しもをみる。すぐしもはコンクリートのあさせになっとって、ほのむこうはきのおいしげるなかすがいっぱいある。さらにむこうに、伊勢湾岸自動車道の巨大な斜張橋がななめにかかる。

2021.9.20 (7) 矢作川 - 水源橋からかみ 2000-1500

かみをみると、まんまんとしずかにみずをたたえるダム湖。両岸はきのおいしげるもり。東岸ちょこっとかみにみえるのが旧堰堤の一部。このねもとにふなとおしはあった。さらにかみに、外環状線のとおる山室橋(やまむろばし)。

2021.9.20 (8) 水源橋西南 - 明治用水 1980-1480

堤防のそとがわ、いまの堰堤の西南に明治用水明治用水はこっからはじまって、わがあんじょうしをはじめとする碧海郡(へっかいぐん)一円のたんぼをうるおす。

2021.9.20 (9) 明治用水旧頭首工 2000-1500

かみに小公園があるとこまで移動して、対岸ひだり45度に旧堰堤をみる。ねもとのふなとおしも、ほれらしくみえてくる。

2021.9.20 (10) 矢作川 - 明治用水旧導水路 2000-1500

こっからみなみ、かわのなかにつつみがのびる。旧堰堤からの導水路だ。小公園のすぐしたに、つりをする少年と老人。

2021.9.20 (11) 水源公園 - 「明治用水頭首工」 2000-1480

まあちょっとかみまでいったとこに、「明治用水頭首工」説明がきのかんばん。頭首工すなわち堰堤。水源公園を愛する会のたてたもんで、堰堤の歴史がかいてある。「みずの便がわるいあんじょうがはらをうるおすために、岡本兵松(おかもとひょうまつ)と伊予田与八郎(いよだよはちろう)が用水を計画。1880年、完成。1881年明治用水のなまえがつく。さいしょの堰堤は、こっから1,500メートルかみに、わりいしをつみあげてつくられた。2代めの堰堤、すなわち旧堰堤は、服部長七(はっとりちょうひち)によりたたきでつくられた」とのこと。たたきってのは、どまのたたきのたたきだ。服部長七はこのまえに葭池樋門もたたきでつくっとる。

2021.9.20 (12) 明治用水 - 旧頭首工 1980-1480

このかんばんのちょうど対岸に、旧堰堤。

東岸から

水源橋をわたって、東岸に移動。

2021.9.20 (13) 矢作川東岸 - 「明治用水ふなとおし」 1980-1480

水源橋ひがしづめからかみにいったとこに小公園があって、ほの一角に「明治用水ふなとおし」説明がきのかんばん。山室を愛する会のたてたもんで、ふなとおしの歴史やちかくにできた旅館のことがかいてある。「陸上交通が発達するまでは、矢作川は物資輸送の大動脈で、数十隻(すうじゅっせき)のかわぶねがいきかっとった。明治用水の堰堤ができて、さいしょは木製のふなとおしがつくられた。旧堰堤ができて、つぎにふなとおし閘門(こうもん)がつくられた。ふなとおしを通過するには、いったん、上下流のとびらをしめ、水位を調整する必要があって、1時間ほどかかった。船頭さんたちのまち時間や宿泊の利便をはかるため、ちかくにみせや旅館ができた。さいしょにできたのが明治館で、これがとじるころ見晴屋(みはらしや)と入船館(いりふねかん)ができた。入船館はいまも水源橋のたもとにある。1929年に越戸ダムができて、矢作川のふなうん(舟運)は消滅。また、こっから県道をはさんでひがしのたかだいに、ふなうんの安全をいのる大神宮がある」とのこと。

1929年で矢作川のふなうんはなくなっただけど、この地域の陸上交通としてこの1929年までに鉄道が整備されとる。矢作川西岸は、1920年三河線知立から豊田市まで延伸。さらに1928年までに西中金まで延伸。東岸は、1924年挙母線が井田から門立(もだち)まで延伸。さらに西岸と東岸をむすぶかたちで、挙母線が門立てまえの三河岩脇から三河線挙母まで開通。

2021.9.20 (14) 矢作川東岸 - 明治用水ふなとおし 1980-1470
2021.9.20 (15) 矢作川東岸 - 明治用水ふなとおし 2000-1500

小公園からおりたとこにふなとおし。いや、ここにかわぶねがはいってきて、水位をあげる、またはさげるっていう作業があって、またでてっただ。いまはかわぶねのかの字もない矢作川に、ほんな時代があっただ。

2021.9.20 (16) 矢作川東岸 - 明治用水ふなとおし 2000-1500

ふなとおしのまんなかから、対岸にむかって堰堤がのびていく。

2021.9.20 (17) 水源橋ひがしづめ - 入船館 1580-1200

さて、いまも水源橋のひがしづめにあるっていう入船館にいってみる。いまは雑貨屋さんになっとって、ペットボトルを1本かうついでに、おくさんからはなしをきくことができた。

2021.9.20 (26) 入船館メモ 840-1170 2021.9.20 (27) 入船館メモ(うら) 900-1250

明治館、見晴屋、入船館とも、さっきの小公園のとこにあったっていう。ほんとに、ふなとおしのすぐとなりにあっただ。入船館がこのばしょにうつったのは、火事にあったためだっていう。おくさんのおじいさんが船大工(ふなだいく)だったとのこと。ふなとおしの水位をあげさげするあいだに、かわぶねの補修をしとったにちがいない。旅館もやりながら船大工もやっとっただ。おくさんのおとうさんは、ふなとおしに関係のない公務員だったとのこと。また、堰堤から導水堤ににかけてでっかいいたがわたしてあって、対岸にあるいてわたれたっていう。このおくさんがほの時代のことを経験しとったわけじゃなくて、おじいさんからきいてしっとるわけだけど、いまもほの時代のことをかたれるひとがおるだ。

2021.9.20 (18) 矢作川東岸 - 明治用水ふなとおし付近 1600-1200
2021.9.20 (19) 矢作川東岸 - 明治用水ふなとおし付近 1580-1200

まあいっかい小公園のほうにいって、ふなとおしのとなりに旅館があったむかしをしのぶ。

2021.9.20 (22) 明治用水ふなとおし付近 - 大神宮 1600-1200

すぐひがしのたかだいにあがって、大神宮におまいり。

2021.9.20 (20) 明治用水ふなとおし付近 - 大神宮説明がき 1590-1180

山室を愛する会のたてた、由緒がきのかんばんをかくにん。「昭和への改元記念を契機に、ふなうんの安全をいのるためにこの大神宮ができた。矢作川のふなうんの歴史はふるく、豊田市域では中世期にはかわみなとがあった。岡崎市細川町(ほそかわちょう)には江戸時代にかわぶねから運上金を徴収した細川分一番所のあとがのこっとる。ふなとおし閘門が1906年に築造されると、この地は上下するかわぶねの必須経由ばしょとなり、船頭衆の休息所ともなった。矢作川のふなうんは1929年の越戸ダムの完成で消滅したけど、町内ではまいとし伊勢神宮に代参者をおくって、祭礼をもよおし、やしろをおまもりしとる」とのこと。

2021.9.20 (21) 矢作川東岸 - 明治用水ふなとおし 1980-1480

さいごに大神宮のおくからふなとおしをみおろして、帰路につく。

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(関連年表)

  • 1880年明治用水完成。さいしょの堰堤はわりいしづくり。
  • 1884年、さいしょの堰堤に、木製のふなとおしができる。
  • 1900年、明治用水本流したに、葭池樋門(よしいけひもん)ができる。
  • 1901年、旧堰堤ができる。葭池樋門におなじくたたきづくり。
  • 1906年、旧堰堤に、ふなとおし閘門ができる。
  • 三河鉄道の延伸
  • 岡崎電気軌道の延伸
    • 1924年、井田から門立まで延伸。
  • 1927年、大神宮創建。
  • 三河鉄道の延伸
    • 1927年、三河広瀬まで延伸
    • 1928年、西中金まで延伸。
    • 1929年、岡崎電気軌道を吸収合併した三河鉄道が、三河鉄道と岡崎電気軌道をつなぐかたちで、上挙母から三河岩脇まで延伸。
  • 1929年、越戸ダムができて、矢作川のふなうんはおわる。
  • 1958年、いまの堰堤ができる。重力式コンクリート
  • 1984年、大神宮改修。

(さんこう)