2022年4月28日、小田原までいってきた。あっかい電車とこだま号をのりついで現地まで。むこうは、近代的な市街地によそおいをかえたじょうかまちをあるいて、しゅくばまちのふぜいをかんじて、壮大な小田原城に圧倒されて、かえってきた。
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あさ6時おきして、ふるいのえきにとうちゃく。6時49分の岩倉いき急行にのる。電車は、6405編成4両6500系鉄仮面のあっかい電車。ぎゅうづめかっておもったら、なかすいとるじゃんか。たちきゃく9わり。
みなみあんじょうで、さきにまっとった吉良吉田いきふつうのあっかい電車といきちがい。2両編成のきんぎょばち。
名古屋本線に接続するしんあんじょうがちかづいたとこで、みぎ、たんぼんなか、ひがしいきにパノラマスーパーがいくのがみえる。にしいきにパノラマスーパーがくるのがみえる。えきの直前でいったん停止のあと、3番のりばにとうちゃく。6時57分。むかいの4番のりばから岐阜いき特急のパノラマスーパーがでていくのをおうように、3番のりばにはいっていって停車した。
こせんきょうをのぼりおりして5、6番のりばに移動。5番のりばから、東岡崎いきふつうのあっかい電車がでていくのをみおくり。6005編成4両6000系かんつうがた。ふつうなのに主線の5番のりばからでていくだ。
まちあい線の6番のりばに、豊川稲荷いき急行のこおろぎ特急がはいってきて、まちあい。特急電車がまちあい線にとまるっていうへんな光景だ。ところで、まえ2両の特別車、開放しとるのに、側面方向幕に「しめきり|ご乗車になれません」って表示。特急電車の急行運用のため、方向幕の表示が対応できとらんのか。
さて、5番のりばにはいってきた、しんあんじょう7時9分の豊橋いき特急にのる。電車はこおろぎ特急で、特別車1号車5Cの席にすわっていく。みぎ通路がわはしらまえ。
東岡崎(ひがしおかざき)に停車。なんにんかおりる。新緑のなか、分水界ごえ。国府(こう)に停車。伊奈(いな)にも特別停車。とよがわをわたって、船町(ふなまち)を通過。
7時40分、豊橋(とよはし)は3番のりばにとうちゃく。
橋上かいさつからにしえきにおりて、自動券売機でかくやすきっぷをかわあっておもったら、販売中止。ところで、あめがふりそうじゃんか。けっこうさぶいし。橋上かいさつにあがりなおして、まどぐちのおにいさんから小田原(おだわら)までの新幹線きっぷをかう。7,140円。かいさつをはいって、えきべんをかう。まんだあさめしがくってなかった。
のりばにおりたとこで、どえらいいきおいで新幹線が通過していく。のりばのない主線を通過していくだけど、ほいでもおそがい。風圧がすごいだ。にしにひがしに、なんぼんもののぞみが通過していく。
さて、のりばにはいってきた、豊橋(とよはし)8時9分の東京いきこだま号にのりこむ。指定席はとらんかって、自由席3号車8Eの席をかくほ。ひだり2席まどがわ。
時間がきてしゅっぱつ。ひだり3番のりばにとまるパノラマスーパーをみながら、新幹線のりばをしゅっぱつ。
すぐにえきべんをひらく。かっといたのは、てづつはなびべんとう。まあるいべんとうばこやなかにはいっとるのりまきを、豊橋名物てづつはなびにみたてとるだ。炭水化物だけじゃなくて、たんぱく質ややさいもしっかりはいっとって、なかなかいいわ。ごちそうさまでした。
浜名湖をわたって、浜松(はままつ)に停車。4分まちあいのあと、しゅっぱつ。天竜川をわたる。
掛川(かけがわ)に停車、しゅっぱつ。喫煙室にはいって、車窓にちゃばたけをみたり、いくつかのトンネルをくぐったり。静岡県ってぞんがい平野がすくなくてやまがちなだ。すすんで、大井川をわたる。
安倍川をわたって、静岡(しずおか)に停車。ようけおりる。県都だでか。5分まちあいのあと、しゅっぱつ。車内放送の車掌さんのこえのかわいいこと。てもちぶさたにちょこっと本をよんでみる。
富士川をわたるとこで富士山。おー、富士山だ。新富士(しんふじ)に停車。けっこうのってくる。3分まちあいのあと、しゅっぱつ。
製紙工場ごしに富士山。ところで、おとこの車掌さんの英語放送のへたなこと。いや、にほんじんなのに英語をしゃべらされる車掌さんがきのどくだ。三島(みしま)に停車。なんにんかのってきて、どの2席または3席もから席がなくなる。東京がちかい。ここは上下共用しましきのりばのそとがわに、のりばのない主線がある構造で、わが東京いきこだま号のむかいに名古屋いきこだま号も停車中。5分まちあいのあと、しゅっぱつ。
熱海(あたみ)に停車。ちかっ。むかいののりばのむこうにうみ。ここは通過線もなくて、すぐにしゅっぱつ。また、うみがみえる。
9時39分、小田原(おだわら)にとうちゃく。豊橋からここ小田原まで197.5キロ、1時間30分、時速131.7キロ。いや、新幹線なのに、なんちゅう表定速度のひくさだ。えきえきでのまちあい時間のうらめしいこと。
のりかえかいさつをぬけて、小田急電車がめにはいる。小田急小田原線で新宿につながっとるだ。はんたい方向は箱根湯本につながって、ほっからさらに箱根登山鉄道で強羅(ごうら)までいける。
こせんきょうで小田原線をこえて、東海道線在来線かいさつをでる。東京だ。観光案内所で地図をてにいれる。繁華街がどこにあるかたしかめると、錦どおりだっていう。銀座どおりってのもあって、繁華街かっておもっただけど、なまえがあがらんかった。
ひがしぐちペデストリアンデッキから、えきまえどおりをみる。まっすぐに東南方向にのびていくのがえきまえどおりで、えきまえロータリーの部分はバスのりばになっとる。わりにこぢんまりとしたえきまえだけど、えきまえビルもふくめて、まわりをビルがとりかこむ。
みぎとおくに小田原城天主閣がみえる。
ひだりにひがしどおりがのびる。いりぐちにアーチがかかっとるとおりで、なんだかごちゃごちゃしたかんじにひかれる。
地平におりて、伊豆箱根鉄道大雄山線(だいゆうざんせん)ののりばがあるのもかくにん。
えきまえどおりをちょこっといったとこから、ひだり45度に錦どおりがのびる。いや、にぎやかなとおりだ。平日のひるまなのに、ひとがいっぱいあるいとる。観光案内所できいたとおりだ。車道に中央線もなくて、はばのひろい歩道がついとる。人間優先の道路だ。
ひだり、ドトールにはいっていっぷく。
すすんで、ひだり、鳥良商店のまえに高部屋(たかべや)のいしぶみ。説明がきがついとって、稲葉氏の時代、ここにたかじょう(鷹匠)のやしきがあったために、たかべやってよばれとっただげな。このあたりもじょうかまちのうちだっただ。とちゅうでみちがみぎにくのってすすんで、錦どおりでぐち交差点。ほのてまえに錦織町(にしこりちょう)のいしぶみ。むかしの町名をこうやっていしぶみでのこしとるだ。錦どおりの中間地点までもどったとこから、みなみT字に歩行者専用のとおりがのびる。このとおりも錦どおりと一帯でにぎわっとる。
つぎに、みなみに銀座どおりにいってみる。錦どおりでぐち交差点から南北にとおりがのびとって、ほっからみなみにいった銀座どおり交差点からみなみが銀座どおりになるだけど、完全なシャッター街になっとって、ほとんどやっとるみせがない。どおりで観光案内所のひとから、繁華街としてなまえがあがらんかったわけだ。
銀座どおりからいっぽんにしのえきまえどおりに移動して、みなみにいく。えきまえどおりが小田原駅から東南方向にのびたあと、みぎにくのってみなみむきにのびてきとるだ。みぎに小田原郵便局。いや、銀座どおりよりはるかににぎやかだ。
すすんで、ひだりにだるま料理店。木造2階だてで、やねのうえにふたごの千鳥破風(ちどりはふ)、玄関の向拝(こうはい)に唐破風(からはふ)のついた風格のあるたてもんだ。まんだ11時だっていうのに、開店まちのひとたちがいっぱいおるのにおどろく。ほんとはこういうとこでひるめしをくいたいだけど、あきらめ。
すすんで、小田原市民会館前交差点のひだりに大手前(おおてまえ)のいしぶみ。ひがしからきた東海道がこのつきあたり交差点で左折してみなみにいくだけど、左折する直前の位置になる。銀座どおりもまあちょいてまえで東海道につきあたるって位置関係になる。
ちょこっといって、みぎにちょこっとはいったみぎに大手門の鐘楼。このへんが大手門だっただ。
大手門の鐘楼のとこからひがしに、まあはいほりとやぐらがみえる。
もどって、また東海道をみなみにいったとこで、ひだりに宮小路ってとおりがのびていく。どんなとこか探検にいってみると、スナックあり、パブあり、ラブホテルありの歓楽街だ。こういうとこがあってこそまちだ。
またもどっていって、東海道が本町交差点につきあたって右折。にしにのびていく。
ところで、この交差点からひがしにのびていくみちもなんだかふぜいがある。
ひがしにちょこっといったみぎに、宮前町(みやまえちょう)のいしぶみ。説明がきがついとって、「宮前町は本町とともにしゅくばまちの中心だって、こうさつばも宮前町にあった」ってかいてある。いしぶみのうしろは清水金左エ門(しみずきんざえもん)本陣あと。いや、ここ東海道からはずれたとこなのにみょうだな。
にしにもどっていって、本町交差点てまえひだりの小田原宿なりわい交流館にたちより。みせばんのおねえさんにおちゃをいれてもらって、ひとやすみ。宮前町のいしぶみのことをたずねてみると、はなしをきいとった年配のご婦人がおしえてくれる。じつは、宮前町のいしぶみのまえのみちが東海道だったとのこと。ひがしからきて小田原市民会館前交差点で左折、本町交差点で右折するのはいまの国道1号線で、むかしの東海道はまっとひがしの新宿(しんしゅく)ってとこで左折、すぐに右折してずーっとにしにすすんで、宮前町のいしぶみや本町交差点をとおってさらににしにすすんでいっとっただげな。なるほど、がてんがいった。
交流館まえの歩道にあった小田原宿の地図でこのことをさいかくにん。おねえさんやご婦人に礼をいう。うりもんののみもんを1本かって、記念写真をとってもらって、交流館をあとにする。
いったん東海道をはなれて、交流館からみなみにむかう。みぎに旧小田原魚市場。小田原は、かまぼこづくりがさかんなことでもしられとる。
さかをくだったとこにある閘門(こうもん)をくぐったさきに、みゆきのはま。
交流館までもどって、東海道をにしにいく。ふつうに国道1号線だけど、電柱地中化ですっきりしとる。うしろにみえるやまはなにやまか。
みゆきのはま交差点を右折。おほりばたどおりをきたにいく。
ひだりに小田原城があらわれる。ほりからはるかかなたに天主閣がみえる。でっかいしろだ。
めがねばしとほのむこうにまなびばし。めがねばしはいしづくりのアーチ橋で、まなびばしはあっかいらんかんのついたはし。めがねばしをわたって、高麗門(こうらいもん)の馬出門(うまだしもん)をくぐって、ますがたにはいる。
ますがたんなかはひだりの門をくぐって、うまやくるわにでる。このうまやくるわがしろの東南部分になるだけど、ひろいくるわだ。このみなみ部分に木造2階だての洋館があって、なかに小田原市観光協会がはいっとる。洋館のとなりの喫煙所で、となりでたばこをすっとった観光協会のひととたちばなし。まず、この洋館がもともとはなんだったのかきくと、図書館だったっていう。しろんなかに公共施設があっただ。ほいから、東海道のひみつをおしえてくれる。さいしょおれが東海道とまちがえた部分が、じつは家光専用の東海道だったっていう。一般人の東海道は新宿(しんしゅく)からひだりクランクしてにしにすすんどっただけど、家光専用の東海道は新宿から直進していまの国道1号線をとおって、まっすぐ大手門にむかっていっとったとのこと。いや、将軍専用の東海道があったとは。小田原征伐で北条氏は秀吉にほろぼされたけど、江戸時代にはいって小田原城は徳川政権とちかい関係にあっただ。さらに、秀吉のつくった石垣山一夜城の見学もすすめてくれる。秀吉がこの一夜城で北条氏にとどめをさしただけど、見学するのはまたの機会にする。
すみよしばしをわたってさらになかにはいっていく。めがねばしをわたったときとおんなじように、まずはますがたにはいる。ここにとじこめられたらふくろのねずみだ。
ますがたんなかでひだりにむきをかえてゆるいさかをあがったとこに、あかがねもん。いや、なんちゅう重厚で荘厳な門だ。りょうがわにいしがきぐみ。うえにかわらやね、しろぬりかべのやぐら。きの門にあかがねのかなぐがついとるだけど、きぜんたいがあかがねでできとるようにみえる。
あかがねもんをくぐったとこが二の丸。
二の丸をずーっとおくにすすんで、ときわぎばしをわたる。あっかいらんかんのついたうつくしいはしだ。
ときわばしをわたったむこうからいしだんをあがって、右折。ときわもんをくぐる。
ときわもんをくぐって、本丸にとうちゃく。
本丸のおく、けっこうないしだんをあがってから天主閣にはいる。
上映されとったみじかいものがたりで、北条氏のさいごをべんきょう。小田原城は、そうがまえがあったことが画期的だったとのこと。城郭をほりでかこうだけじゃなくて、じょうかまちをふくめてほりでかこうだ。そうがまえがあったことが、1580年の秀吉の小田原ぜめにもながくもちこたえれた秘訣だったとのこと。わが西三河でも、岡崎城がそうがまえがあったことでしられるだけど、田中吉政がそうがまえをきずいたのが1590年から1600年のあいだのことだったで、ひょっとしてこの小田原城のそうがまえにならったのかもしれん。ほいで、秀吉のせめにながくもちこたえてきた北条氏だっただけど、一夜にして小田原城のうらてに石垣山城ができたのをみて、北条氏政(うじまさ)、氏直(うじなお)ちちこは降伏を決意したとのこと。
てっぺんまであがって、四方をみはらす。
ひがしにひろがるじょうかまち。いまは近代的な市街地によそおいをかえとる。ほのむこうに相模湾。
さっきまぢかにみてきたみゆきのはまは東南方向このあたりか。
みなみに伊豆半島がずーっとのびていく。相模湾をひだりに、みぎの伊豆半島がずーっとむこうにのびていく。相模湾と太平洋のさかいになる真鶴半島(まなづるはんとう)がでっぱっとるのもわかる。太平洋にうかぶ伊豆大島もみえる。
きたは、すぐほこに小田原駅。ずーっとむこうに丹沢(たんざわ)のやまやま。
にしに箱根のやまやま。案内看板に明神ケ岳(みょうじんがだけ)、明星ケ岳(みょうじょうがだけ)、冠ケ岳(かんむりがだけ)、神山(かみやま)、駒ケ岳(こまがだけ)、上二子山(かみふたごやま)、下二子山(しもふたごやま)ってなまえがかいてある。東海道をにしにあるいてくるときにみえたやまやまだ。
ほいで、西南方向に石垣山一夜城。北条氏政、氏直ちちこに降伏を決意させた石垣山一夜城。
しろの見物をおえて、線路ぞいにえきにむかう。
さかをくだりおえたへんで、小田原保線技術センターしきちの一角に、菊池寛(きくちかん)のかいた松本駅長殉難のいしぶみを発見。暴風雨のなか線路のかくにんをしとるときに、あしをすべらせていのちをおとした駅長をいたむ文章がかいてある。
ほのとなりに元蔵(もとぐら)のいしぶみ。あたらしくできたこめぐらにたいして、もともとあったこめぐらって意味で、このばしょに弁財天ぐるわのこめぐらがあったとのこと。
すすんで、えきをとおりこして、ひがしどおりをみてみる。さいしょにペデストリアンデッキからみたとおり、ごちゃごちゃしたかんじがすてきだ。きれいに整備された錦どおりもいいけど、ここもいい。いりぐちに新蔵(しんぐら)のいしぶみも発見。元蔵とついになる新蔵だ。このあたりに、城主稲葉氏があらたにつくったくらやしきがあったとのこと。この一帯がじょうかまちの北限になるみたいだ。
いくつかあるめしやさんのなかからえらんだ小田原魚河岸でんってみせにはいって、おっそいひるめし。店員のおねえさんのすすめにしたがって、ほんまぐろどんとみそしるを注文。やっぱり小田原にきたらうみのさちだ。さかなのきりみのはいったみそしるのじわーんっていぶくろにしみること。
ごちそうさまをして、かえりのこだま号にのる。