まえにいった大高城のたびのふりかえりに、ほっから常滑街道をまあちょっとにしにいったほうにひかみあねごじんじゃっていう神社があることをしった。祭神はみやずひめのみこと。あのやまとたけるのみことのおくさんになったひとだ。どんな神社なのかきょうみがわいて、きのう2022年6月30日、いってきた。
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大高のまちから常滑街道をにしにいって、名古屋高速をこえたとこで、常滑街道からはなれてみなみにいく。
住宅街のなかにある常世島(とこよじま)交差点からみなみすすんで、ひだりに玉根社(たまねしゃ)。ひかみあねごじんじゃの末社のひとつで、祭神はすくなびこなのみこと。
ほのみなみに熱田神宮大高斎田(あつたじんぐうおおだかさいでん)。おたうえまつりがあったのが6月の第4にちようびってことで、うわったばっかりのたんぼだ。みやずひめのみことがやまとたけるのみことから託されたくさなぎのつるぎが、のちに熱田神宮にまつられるようになったってことで、ひかみあねごじんじゃとむすびつきがつよいだ。
ひかみあねごじんじゃ
すすんで、ひだりにひかみあねごじんじゃのいりぐちのとりい。くぐったすぐひだりわきに由緒がき。「みやずひめのみことは、尾張のくにをおさめとったおとよのみことのむすめで、やまとたけるのみことが東国平定したかえりにこの地にとどまっとったときに結婚。やまとたけるのみことから託されたくさなぎのつるぎをこの地でまもってきたけど、やがて熱田の地でまつられるようになった。社殿は、おとよのみことのやかたあとに仲哀天皇4年(西暦195年)に創建、持統天皇4年(西暦690年)に現在の地に遷座された。おとよのみことのやかたあとは、いまはひかみあねごじんじゃの末社のひとつもとみやがある」とのこと。
おくにすすんでひだりにまがって、きたむきになってすすんで、ふたつめのとりいをくぐる。
拝殿は銅板ぶきひらいりで、唐破風(からはふ)の向拝(こうはい)つき。ほのおくの本殿も銅板ぶきひらいりで、ちぎ、かつおぎはついとらん。熱田神宮の摂社っちゅうほどにはりっぱじゃないし、特殊でもない。ふつうの神社ってかんじだ。
拝殿からおまいり。おくにちょこっと本殿がのぞいとる。拝殿どまのひだりうえのかべに、由緒がき。「みやずひめのみことのちち、おとよのみことは、古代尾張の開拓神であったあめのほあかりのみことの子孫で、尾張のくにのみやつことしてひかみの地を本拠としとった」とのこと。いや、知多郡に属する大高の一部、ひかみの地に尾張のくにのみやつこであるおとよのみことの本拠があっただ。
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ひかみあねごじんじゃのいりぐちのとりいまでもどって、こんどはみちのむかいにあるとりいをはいっていく。とりいのみぎてまえに、末社もとみやのいしぶみ。
左右こだちのなか、くねるさかみちをのぼっていって、みぎに、ひかみあねごじんじゃの末社のひとつ、神明社(しんめいしゃ)。これも質素なつくりだけど、水平ちぎとかつおぎがついとる。ほかにくらべて、あたらしい時代にできたもんか。
また、くねるさかみちをのぼっていって、いきどまりになるとこにひらば。
ひらばのおくに、ひかみあねごじんじゃの末社のひとつ、もとみや。
ほのみぎに、みやずひめのみこと邸宅あとのいしぶみ。「倭武天皇皇妃|尾張国造之祖|みやずひめのみこと宅趾|熱田神宮宮司従五位(じゅごい)角田忠行(つのだただゆき)謹書」ってかいてある。まさにやまとたけるのみことがここをおとずれ、まさにみやずひめのみこととつきのさわりのうたをかわしたのか。