これまでちょこっとづつあるいてきた佐屋路をまたあるいてきた。ぜんかいのつづきで、こんかいはにしじょうを起点ににしにすすんで神守宿(かもりじゅく)をとおって埋田おいわけ(うめだおいわけ)までいってきた。位置は名鉄津島線と近鉄名古屋線にはさまれた鉄道空白地帯で、濃尾平野のまっただなかをにしへにしへとあるいてきた。
◇ ◇
おおはるにしじょうバス停までのってきたバスのあとをおいかけるように、にしじょう交差点から佐屋路をにしにいく。バスどおりが、ひだりうしろからきた佐屋路に合流していくかたちだ。佐屋路はこれまでにこの交差点まであるきすすめてきており、きょうのひざくりげ道中をこっからはじめる。
左右は住宅街で、なかにぽつぽつ事業所がある。みぎに八剣社。
秋竹橋(あきたけばし)で福田川(ふくだがわ)をわたって大治町(おおはるちょう)からあま市にはいる。
はしをわたって、左右に秋竹バス停。左右は住宅街。秋竹交差点を直進。左右は住宅街。名鉄バスセンターいきバスとすれちがい。ひだりにスギ薬局。JA海部東(あまひがし)七宝支店。
みぎにうどんそばどころどんきゅう。ひだりににほん料理まるい。三浦電気。ひだり七宝郵便局はあいとらん。どっかに移転したみたいだ。みぎににほん料理大沢屋。
秋竹西橋で小切戸川(おぎりどがわ)っていうちいさなかわをわたる。
みぎ七宝町桂(しっぽうちょうかつら)バス停に栄いきバスが停車。
ひだりに津島方面の七宝町桂バス停。左右にくすりのゲンキーほかなんげんかのみせや事業所。
七宝小学校東北交差点で名鉄バスセンターいきバスとすれちがい。
この交差点の西北かどに七宝焼原産地のみちしるべ。「みぎ6丁、600メートルのとこに七宝焼原産地宝村(たからむら)遠山(とおやま)がある」ってかいてある。
すすんで左右は住宅街。ひだりおくに七宝小学校。たまに事業所。
安松(やすまつ)交差点を直進。左右に安松バス停。名古屋方面に栄いきバスが停車。
左右に市街地はつづいとるけど、このあたりから郊外にぬけたかんじがする。みせや事業所もぽつぽつ。みぎローソンあま七宝町店でおちゃをかう。
ひだりに中日新聞七宝専売所イカイ新聞店。みぎおくにたんぼがあらわれる。
左右ところどころにたんぼやはた。みぎにガソリンスタンド。むかいに七宝郵便局とミニストップ七宝下田店(しっぽうしもだてん)。郵便局はここに移転しとっただ。
新下田橋東(しんしもだばしひがし)交差点を直進。だいぶたんぼがふえる。
左右に下田バス停。バスがなんぼんもいきかう。いまも佐屋路は交通の大動脈だ。
歩行者専用の弓掛橋(ゆみかけばし)で蟹江川(かにえがわ)をわたる。「義経がこっからゆみをいてとんだやがこのさきの日光川までとどいた」っていう故事があって、「このはしのたもとにゆみをかけたまつがある」とのこと。義経もこの佐屋路をあるいたのか。みぎにくるま専用の下田橋。
下田橋西交差点で津島駅いきバスがおいこしていく。
みぎに七宝病院があって、七宝病院前バス停を栄いきバスがいく。
まんだたんぼがひろがる。
莪原(ばいばら)交差点の前后に莪原バス停。
あま市から津島市にはいって、左右に神守口(かもりぐち)バス停。このさきみぎにゆみなっていくバスどおりからはなれて、直進するこみちにはいっていく。
バスどおりがいく神守町(かもりちょう)交差点みなみの横断歩道をわたって、ほのままつづくこみちにはいっていく。
鈍角に右折。こっから神守宿(かもりじゅく)にはいる。
神守町交差点からきたバスどおりとの合流地点のみぎがわに神守の一里塚(かもりのいちりづか)。説明がきに「万場(まんば)と佐屋のあいだがながく、1647年、中間の神守に宿(しゅく)がおかれた」ってかいてある。神守宿ってさいしょはなかったしゅくばまちなだ。地図がついとって、神守宿が上町(かみまち)、中町(なかまち)、下町(しもまち)のみっつにわかれることがわかる。この一里塚のあるとこは下町になる。
下町をにしにいく。左右は住宅街だけど街道のふんいきはある。まえにバスでここをとおったこともあるだけど、神守町交差点からはいっていくときから街道のふんいきはつよくかんじた。
ひだりにおやしき。
神守町下町交差点を右折してきたにいく。バスどおりは直進してにしにいくけど、佐屋路はここで右折してきたにいく。
きたにいきかけたとこで、この交差点の東北かどに南町だしぐらを発見。説明がきに「南町車(みなみまちくるま)は神守祭(かもりまつり)のだしのひとつで、穂歳神社(ほうとしじんじゃ)の祭礼として下町につたわる」ってかいてある。ほいで、「上段にのっとる大将人形は寿老人(じゅろうじん)で、中段でからくりをひろうする」とのこと。いや、この下町だけでだしをもっとるってすごいな。
南町だしぐらからちょこっときたにいって中町になる。左右は住宅街だけどはっきり街道のふんいきがある。
ひだりおくにはいって養源寺(ようげんじ)を見物。しっくいぬりの六角堂と高麗門の山門、いいな。
佐屋路にもどってまたきたにいく。みぎにうどん石原屋。はりきゅうマッサージ神守治療院。ほのむかいに神守診療所。
ひだり津島消防団神守分団のたてもんのおくに中町だしぐら。説明がきに「中町車(なかまちくるま)は神守祭(かもりまつり)のだしのひとつで、穂歳神社(ほうとしじんじゃ)の祭礼として中町につたわる」ってかいてある。ほいで、「上段にのっとる大将人形は宋の詩人林和靖(りんなせい)で、中段でからくりをひろうする」とのこと。南町車とおおきくちがうのは大将人形が寿老人から林和靖にかわったことだ。いや、どんなひとだかしらんだけど。
すすんでひだりに旧家と神守小学校。まちのどまんなかに小学校があるって理想的だ。
つきあたりT字のてまえひだりに旧家。
つきあたりT字のむこうに神守のしゅくばあとの説明がき。神守の一里塚の説明がきと同様のことがかいてあるほか、「このしゅくばは、おかみのじんじゃともいわれとった憶感神社(おっかんじんじゃ)を中心にやどや、商家がたちならびちかくのむらむらのてだすけによって宿駅のしごとをはたしとった」ってかいてある。
さて、佐屋路はこのつきあたりT字を左折してにしにいくだけど、はんたいのひがしにいろいろあって、いってみる。
ひだりに上町だしぐら。南町車と中町車が穂歳神社の祭礼だったのにたいして、上町車は憶感神社(おっかんじんじゃ)の祭礼だってかいてある。ここだけちがうだ。ほいから、上町車の大将人形は三国志の英雄関羽(かんう)。
上町だしぐらのつぎに吉祥寺(きっしょうじ)六角堂。オンカヵカビサンマエイソワカ。オンカヵカビサンマエイソワカ。説明がきにかいてあるとおりにとなえておまいり。たびびともこの六角堂に道中の安全をいのったとのこと。
みちのつきあたりに憶感神社(おっかんじんじゃ)。これが神守宿の中心だっただ。ただ社殿はたいそうなもんじゃなくて、てまえから順にコンクリートづくりでふきはなちの神楽殿があって、木造の拝殿があって、おくの数段たっかいとこに本殿としてあっかい鉄板ぶきながれづくりの素朴なほこらがあるってぐあいだ。まあやたら豪華にせんでこれぐらいでいいのかもしれん。
もどってT字から佐屋路神守宿は上町をにしにいく。
すすんでひだりに土蔵。
みぎに穂歳神社(ほうとしじんじゃ)。木造でふきはなちの神楽殿があってつぎに拝殿。おくのたっかいとこに本殿として銅板ぶき水平ちぎかつおぎつきひらいり神明づくりのちいさなほこら。憶感神社といっしょで本殿はこぶりだ。
穂歳神社をすぎていっぺんに街道のふんいきはなくなる。
さらにたんぼもあらわれてななし信号交差点を直進。
左右は新興住宅地。すきまにたんぼ。
ちょこっとごうにはいって、ひだりに中川畳店。みぎに住宅機器のキムラ。
またたんぼがあらわれる。
バスどおりとの合流地点がちかづいて、ちょっとまちになってくるふんいきがつたわってくる。
越津町(こしづちょう)交差点をすぎたとこで、ひだりうしろからきたバスどおりと合流。
ひだりに下切(しもぎり)歯科医院。ひだりに下切バス停。みぎに名古屋方面の下切バス停。ななし信号交差点を直進。
日光橋で日光川をわたるとこでみぎ45度に伊吹山。うつくしいやまだ。
はしのにしづめに旧日光橋おやばしら。説明がきに「江戸時代の尾張名所図会に『すこぶる大河にして佐屋街道にはおおはしを架す』って紹介されとる」ってかいてある。また「2008年にあたらしいはしになった」とのことで、記念にむかしのはしのおやばしらがここにのこしてあるだ。
またにしにすすんで、みぎに名古屋方面の日光バス停。日光交差点を直進。まんだたんぼはある。ひだりに日光バス停。
日光バス停のむかいにみつけた千禧(せんき)って中華りょうりやにはいってひるめし。からあげとラーメンの定食を注文。ラーメンのあったかいののうれしいこと。
はらごしらえができたとこで、また佐屋路をにしにいく。まんだたんぼまじりのふうけいだ。
たんぼもなくなって、ひだりおくにヨシヅヤのおおきなたてもんがみえてくる。
古川町(ふるかわちょう)交差点をひだりにくのっていく。
みぎに名古屋方面の古川バス停。
みちがみぎにゆみなっていくとこで、ひだりに古川バス停。みぎに旧家が2軒。
またたんぼがあらわれる。
ひだりにゆみなったあと、つきあたりT字の北新開(きたしんがい)交差点を右折。
津島の市街地にはいって、とおりがにしにまっすぐにのびる。みちに津島古川郵便局。ここもまんだ古川のうちか。左右にみせや事業所がいっぱい。
埋田町(うめだちょう)交差点を直進。ほんとは佐屋路はこっからほんのちょこっとひだりに進行方向をかえるだけど、いまは津島の市街地にまぎれてなくなっちゃっとって、このまま直進。
みぎに名古屋方面の津島市役所前バス停。
ひだり津島市役所前バス停のとこのひだりT字を左折。
すぐにみぎT字を右折して佐屋路をにしにいく。
みぎに明治天皇埋田御小休所。いや、こないだ土岐津(ときつ)のたびで下街道(したかいどう)高山宿に明治天皇小休所をみてきたとこだ。ほかにもいっぱいあった。明治天皇ってじつにあっちこっち行幸しただ。
すすんで、ひだりのみちばたに埋田おいわけのみちしるべがあって、「左さやみち」「右つしま天王みち」ってかいてある。ここで佐屋路は左折して、津島のまちは直進するだ。いまでこそこのあたりまで市街地になっとるけど、むかしは津島のまちはまんださきだっただ。いや、でも表示がへんだ。ひがしめんに「右つしま天王みち」ってかいてあるけど、こいじゃあ津島のまちにいけん。ほいからきためんに「左さやみち」ってかいてあるけど、こいじゃあひがしにもどっていっちゃう。いつかこのなぞがとけるひがくるのか。
埋田おいわけのみちしるべからまあちょっといったとこに常夜灯ととりいだいいし。わきの説明がきに「ここに津島神社のいちのとりいがあっただけど、伊勢湾台風でたおれてだいいしだけがのこっとる」ってかいてある。
さて、埋田おいわけから左折する佐屋路をみなみにいきたいとこだけど、こっからしばしの区間も津島の市街地にまぎれてなくなっちゃっとって、きょうのひざくりげ道中をここまでとする。
◇ ◇
〔2023年2月みっか、きんようび、平日〕
【美濃路を宮宿から佐屋路分岐まであるく】
【おとなのえんそく - 佐屋路さいしょのいっぽ】
【佐屋路をかすもりからにしじょうまで】
【七宝焼原産地のみちしるべ】
【神守まつりの3台のだし】
【神守のしゅくばあとの説明がき】
【神守宿吉祥寺の六角堂】
【佐屋街道と日光橋】
【埋田おいわけ】