つまとふたり美濃のくには長良川ぞいにある墨俣城をみてきた。おなじく長良川ぞいにある美濃路墨俣宿のきたがわにある。
◇ ◇
半日がかりで墨俣にとうちゃく。さいしょにひるめし。幹線道路ぞいにみつけたぎふ初寿司墨俣分店ってみせにはいってひる定食のすしを注文。すしとうどんのほかちゃわんむしもついてなかなかおねうちだ。
すしやから墨俣宿をこえてきたに移動。きたむきにはしをわたって墨俣城にはいっていく。はしは長良川の支流犀川にかかるはし。
展示資料に信長の側室吉乃(きつの)の記述。生家である生駒屋敷におったところ織田信長にみそめられて側室になって、信忠(のぶただ)、信雄(のぶかつ)、徳姫(とくひめ)の3人のこどもをもうけたとのこと。吉乃は美人でなだかかったはずだけど、この展示資料の肖像画はびみょうだな。徳姫は別名五徳で、どうする家康で久保史緒里さんがえんじとった。
ほいから生駒屋敷の記述。のちに墨俣城をつくることになった秀吉も、ここで蜂須賀小六や織田信長とであって出世のてがかりをえたっていう。名鉄犬山線布袋駅から東南にいったとこにある生駒屋敷だけど、ここにこんな歴史があっただ。
最上階から長良川上流に金華山をみる。秀吉が一夜できずいた墨俣城をてがかりに、織田は金華山の斎藤道三をほろぼした。墨俣城と金華山っておたがいがみえる関係にあるだ。
下流に長良大橋をみる。
したにおりてしろのうらがわまでさんぽ。秀吉がつくった墨俣城はとりででしかなかって、しろがあったことの象徴として近代になってつくったこの天守閣だけど、なかなかりっぱなもんだ。
長良大橋をわたってうちにかえる。
〔2023年8月17日訪問〕