勝鬘寺(しょうまんじ)

2020.4.15 (1) 勝鬘寺 - 本堂(正面) 2000-1500

岡崎は針崎町(はりさきちょう)にある勝鬘寺(しょうまんじ)。ひがしに土呂西尾みちに面してたつ。いや、でっかい。みちよりもかなりたかいとこにたっとって、さらにでっかさがきわだつ。

みちに面したとこに「岡崎市指定文化財」のかんばん。「真宗三河三か寺のひとつ。1563年から翌年にかけておきた三河一向一揆のさい、一揆がたの拠点のひとつとなった」とのこと。「蜂屋半之丞(はちやはんのじょう)ら百余騎が境内にたてこもり、ここから小豆坂(あずきざか)や上和田(かみわだ)方面へしばしばうってでてはげしくたたかった」とも。たたかいの歴史があるだ。あと、かながき阿弥陀経も指定文化財になっとる。

2020.4.15 (4) 勝鬘寺 - 本堂(みぎ45度) 1860-1500

境内にあがって、本堂におまいり。ほんとにやねがでっかい。

本堂のみぎてまえにでっかい石板のいしぶみがあって、「1563年、三河一向一揆戦陣あと」ってかいてある。ここも、おてらっていうよりおしろってかんじだっただらあな。

2020.4.15 (5) 勝鬘寺 - 本堂(ひだり側面) 2000-1500

本堂のひだりがわにまわって、つま面をみてみる。あまりのでっかさに、やねがカメラにおさまらん。

2020.4.15 (6) 勝鬘寺 - かねつきどうあと 1600-1000

境内のすみに、荒城のつきっていうふぜいのいしがきを発見。よすみにはしらの土台がのこっとって、かねつきどうのあとにちがいないだけど、いったいどこにいったのか。

2020.4.15 (7) 勝鬘寺 - 白鳩保育園の門 1950-1500

明治にはいった1896年、愛知県第二尋常中学校が岡崎にできて、さいしょの1年だけ、この勝鬘寺にかり校舎があったっていうことで、なんかなごりがあるのかっておもっただけど、とくにない。ただ、境内のみぎのほうが白鳩(しろはと)保育園になっとって、みぎがわの山門がほのまま保育園の門になっとる。当時の愛知二中生もこの門をくぐっとったのか。ちなみに、翌年から戸崎(とさき)の新校舎にうつって、さらに1924年に明大寺(みょうだいじ)の新校舎にうつって、1948年に岡崎高校になまえをかえとる。

〔2020年4月15日訪問〕


(さんこう)