岡崎は針崎町(はりさきちょう)にある勝鬘寺(しょうまんじ)。ひがしに土呂西尾みちに面してたつ。いや、でっかい。みちよりもかなりたかいとこにたっとって、さらにでっかさがきわだつ。
みちに面したとこに「岡崎市指定文化財」のかんばん。「真宗三河三か寺のひとつ。1563年から翌年にかけておきた三河一向一揆のさい、一揆がたの拠点のひとつとなった」とのこと。「蜂屋半之丞(はちやはんのじょう)ら百余騎が境内にたてこもり、ここから小豆坂(あずきざか)や上和田(かみわだ)方面へしばしばうってでてはげしくたたかった」とも。たたかいの歴史があるだ。あと、かながき阿弥陀経も指定文化財になっとる。
境内にあがって、本堂におまいり。ほんとにやねがでっかい。
本堂のみぎてまえにでっかい石板のいしぶみがあって、「1563年、三河一向一揆戦陣あと」ってかいてある。ここも、おてらっていうよりおしろってかんじだっただらあな。
本堂のひだりがわにまわって、つま面をみてみる。あまりのでっかさに、やねがカメラにおさまらん。
境内のすみに、荒城のつきっていうふぜいのいしがきを発見。よすみにはしらの土台がのこっとって、かねつきどうのあとにちがいないだけど、いったいどこにいったのか。
明治にはいった1896年、愛知県第二尋常中学校が岡崎にできて、さいしょの1年だけ、この勝鬘寺にかり校舎があったっていうことで、なんかなごりがあるのかっておもっただけど、とくにない。ただ、境内のみぎのほうが白鳩(しろはと)保育園になっとって、みぎがわの山門がほのまま保育園の門になっとる。当時の愛知二中生もこの門をくぐっとったのか。ちなみに、翌年から戸崎(とさき)の新校舎にうつって、さらに1924年に明大寺(みょうだいじ)の新校舎にうつって、1948年に岡崎高校になまえをかえとる。
〔2020年4月15日訪問〕
(さんこう)
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いつの間に。ようこそ。
台風で、柱が歪んで下ろしました。今年中に修復できるといいのですが。
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- 勝鬘寺(しょうまんじ)
- 「岡崎市指定文化財」
岡崎市指定文化財=勝鬘寺
【史跡=勝鬘寺境内地5,889.51平方メートル】
勝鬘寺は、いわゆる真宗三河三か寺のひとつ。1563年から翌年にかけておきた三河一向一揆のさい、一揆がたの拠点のひとつとなった。蜂屋半之丞ら百余騎が境内にたてこもり、ここから小豆坂や上和田方面へしばしばうってでてはげしくたたかった。
1962年6月15日指定
【書跡=かながき阿弥陀経1巻】
阿弥陀経の写本であるが、かながきのものはめずらしい。
江戸時代。
1960年3月とおか指定
岡崎市教育委員会 - 「三河一向一揆戦陣あと」
寂光山 - 勝鬘寺
開基 - 信願房了海 - 1258年建之
1563年 - 三河一向一揆戦陣あと
- 「岡崎市指定文化財」
- 勝鬘寺 - Wikipedia