土井の社宮司社(しゃぐうじしゃ)

土井(どい)に社宮司社(しゃぐうじしゃ)っていうかわったなまえの神社がある。土井は青野街道ぞいのまちで、美矢井橋(みやいばし)で矢作川をひがしにわたって、上青野(かみあおの)をとおりぬけると一面にひろがるたんぼのむこうにある。碧海郡(へっかいぐん)は六ッ美(むつみ)地区になる。

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境内のみなみがわのみちに面して「岡崎観光きらり百選No.14」っていうたてかんばんがあって、よんでみる。

岡崎観光きらり百選No.14(岡崎観光文化百選)

三河武士ゆかりの地(土井氏一族発祥の地)

幕閣(ばっかく)で大老としてかつやくした土井利勝(どいとしかつ)はこの地にすみ、早乙女(さおとめ)姓をなのったったけど、地名をとって土井に改姓した。子孫は下総古河(しもうさこが)、越前大野城主などとしてかつやくした。

ほー、幕府の大老をつとめたようなえらいひとが、この土井のまちからでたのか。

由緒がきもあって、よんでみる。

宮司

祭神(さいじん)はあめのうずめのみこと(天鈿女命)、あまてらすおおみかみ(天照大神)、とようけおおかみ(豊受大神)のみはしら。

1621年の旧記に社口明神ってでとる。1718年の土井古城古図に社口神大明神ってでとる。

1846年、社口明神の本殿を改築、郷東の神明稲荷明神を合祀。

1924年、社殿の遷宮

1961年、本殿改築遷宮

社宝として、棒の手の薙刀(ぼうのてのなぎなた)、刀、鎖鎌(くさりがま)、棒、巻物7巻、古絵図がある。

末社に津島大社のすさのおのみこと(素盞嗚尊)をまつる天王社と、かつて土井城内にあった摩利支天(まりしてん)をまつる摩利支天社がある。

ほか、境内に伊勢神宮遥拝所(ようはいじょ)や土井氏一族発蹟地のいしぶみがある。

あめのうずめのみことってのは、あまてらすおおみかみがいわとがくれしたときに、ほのまえではだかおどりをしたことで有名なかみさまだ。ほのかみさまが祭神の筆頭にかいてある。いまは社宮司社っていうなまえだけど、もともとは社口明神っていうなまえだったらしい。わがあんじょうにも、社口堂(しゃぐんどう)っていうあざがある。土井城っていうことばがでてくるけど、この地におしろがあったとはしらんかった。

境内ひだりに土井町公民館。とりいてまえみぎのでっかい石柱には「社口司社」ってかいてある。やっぱり、もともと「社口」っていう表記だっただ。石柱のうらめんに「1918年10月いつか建之」。

2020.4.22 (1) 社宮司社 - 拝殿 1950-1500

拝殿におまいり。木造かわらぶきひらいりの簡素なつくりだけど、やねがうねっとる。由緒がきにある「1924年、社殿の遷宮」のときからいまにいたっとるにちがいない。

2020.4.22 (2) 社宮司社 - 天王社と摩利支天社 1950-1480

拝殿みぎの天王社と摩利支天社にもおまいり。たてもんはひとつ。

2020.4.22 (3) 社宮司社 - 全景 1990-1500

本殿からおく、わたり殿から本殿につながる。ぜんぶかわらぶきで、拝殿におなじく本殿もひらいりだけど、本殿はだいぶあたらしい。由緒がきに「1961年、本殿改築遷宮」ってかいてあるとおり、ほのときにてをいれたにちがいない。

2020.4.22 (4) 土井氏一族発蹟地のいしぶみ 1500-1900

土井氏一族発蹟地のいしぶみをやっとのことで、境内東南すみに発見。うちすてられたように、こだちのなかにたっとる。

2020.4.22 (5-2) 土井氏一族発蹟地のいしぶみ - にしめんなか 1350-1800 2020.4.22 (5-1) 土井氏一族発蹟地のいしぶみ - にしめんうえ 1350-1800
2020.4.22 (5-3) 土井氏一族発蹟地のいしぶみ - にしめんした 1350-1800

うらめんに説明がきがあって、よめるかぎりによんでみる。

土井氏一族発蹟地

早乙女小左衛門利昌住此地養利勝為子因地名改氏土井〇〇

下総古河三河刈谷越前大野城主等称土井氏者皆其〇〇

1917年3月

早乙女小左衛門利昌ってのがのちの土井利昌で、大老になった土井利勝の養父だ。

境内西南すみに伊勢神宮遥拝所があるのをたしかめて、見学をおえる。

〔2020年4月22日訪問〕


(さんこう)