2020年6月11日、岐阜は加納(かのう)と茶所(ちゃじょ)をたびした。
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とりあえず岐阜までいく。さいしょは、ふるいからきたいきのあっかい電車にのる。
しんあんじょうでにしいきの特急電車にのりかえ。まえ2両は通勤用のあっかい電車だけど、うしろ6両が特急用車両で、うしろから2両め、特別車2号車8Aにすわっていく。さいしょはくもりぞらだったけど、知立であめがふってくる。本笠寺でやんで、名古屋をでてまたあめ。
けっきょくあめのまま終点岐阜にとうちゃく。特急なのにめずらしく3番のりばにとうちゃく。のってきた電車がほのままの編成で、運転士さんと車掌さんが交代して、おりかえし回送としてでていくのをみとどける。
ここまで、どこにいくっていうあてもなしにきただけど、これから岐阜市内名鉄名古屋本線高架事業がはじまることをおもいだして、地平時代の加納のえき、茶所(ちゃじょ)のえきをかくにんしにいくことにする。
いったんでた岐阜のかいさつをはいりなおして、みなみいきのあっかい電車にのる。名古屋よりにひとえきもどるだ。
ぐいーんってひだりにまがりながら高架をおりて、進行方向がひがしむきになったとこで、しましきホームの加納にとうちゃく。
ホームにおるうちにはんたいのあっかい電車がやってくる。
名古屋よりにある構内ふみきりを、ひだりに駅舎のほうにわたったとこで、また遮断機がおりて、パノラマスーパーがひがしいきにゆっくりとおりすぎていく。
かいさつをでて、ひがしにあるいていくとこで、こんどはミュースカイがひがしいきにゆっくりとおっていく。すぐにみぎ曲線にはいるで速度がだせんだ。高架完成のあかつきには解消されるか。
ミュースカイがとおっていったふみきりをみぎにわたって、クルマどおりをみなみにはいる。とおりのなまえは岐阜東どおり。みせもいくつかあって、にぎわいをかんじる。あめはかなりつよくて、ズボンをびたびたにぬらしながら、新荒田橋にかかる荒田橋をわたる。ちょうどひるどきなだけど、どこでもいいでとにかく食堂にはいりたい。
しばらくあるいて、ひだりがわ、さいしょにあったガストにはいって、ひるごはん。みずもてふきもじぶんでどうぞ。タブレットで注文したのはオムライス。いや、ぞんがいうまい。
はらごしらえができておちついたとこで、あめはこぶりになっとる。岐阜東どおりをきたにもどって、見当をつけて適当なとこで、右折。ひがしにすすんで、こんどは茶所のえきにいくことにする。加納のひとつ名古屋よりのえきだ。
ひがしにのびるみちはクルマで大渋滞。バスもまじっとる。ずーっとさきに、ふみきりをみなみにいくパノラマスーパーがみえる。なるほど、これなら高架にしたいわけだ。
すすんで、みぎに岐阜加納八幡郵便局。ひだりに加納八幡神社。とおりのなまえも加納八幡どおりで、岐阜バス加納八幡町バス停もりょうがわにある。
加納八幡神社におまいり。説明がきに、「家康が岐阜城を廃して加納城を構築。城郭内にはいっとったこの神社を、しろの東北にうつした」ってかいてある。わかった。なるほど、加納は家康がつくっただ。ほいで、明治新政府は東海道線岐阜駅のなまえを、にっくき徳川幕府ゆかりの加納にせんで、岐阜にしただ。東海道線岐阜駅からだいぶきたのほう、長良川ぞいにある岐阜よりも、すぐみなみにある加納のほうがはるかにちかいにもかかわらずだ。疑問が解消した。
すすんで、十字路からひだりにふぜいのあるみちがのびとる。いってみると、きれいなはしもある。新荒田川にかかる加納大橋だ。新荒田川は、くるときに荒田橋でみなみにわたったかわだ。荒田橋のひとつかわかみにかかるのがこの加納大橋だ。はしのたもとには中山道加納宿の説明がきと中山道の地図があって、みてみる。
あなたがたっとるみちは、江戸時代の五街道のひとつ、中山道です。
加納城下町の建設は、関ケ原の合戦からはんとしごの1601年3月、10万石の領地をあたえられた奥平信昌がじもとの有力者たちを指揮し、整備したことにはじまります。
そのご、1634年には中山道のしゅくばにさだめられました。じょうかまちであり、しゅくばまちでもある加納宿は、21のまちからできており、中山道にそってのきがならぶほそながいまちでした。
しゅくばの中心部では、岐阜町から名古屋の熱田へつづくおすし街道(岐阜街道、尾張街道)とまじわっており、交通のかなめになっておりました。
いや~、あることはしっとったけど、ここが中山道加納宿か。地図でたしかめてみると、このはしは中山道と、おすし街道の重複区間にある。
うつくしいはしだ。はしをわたったさきのふみきりを、ひがしにいく特急電車もみえる。
はしからかわかみをみると、いまみた特急電車が、鉄橋をわたってみなみにいくのがみえる。このかんで線路がおおきくゆみなっとるだ。
加納八幡どおりの十字路までもどったとこで、西北かどに中山道加納宿のみちしるべがあるのをかくにん。ここが、おすし街道をかねた中山道のまがりかどで、中山道はきたに河渡宿(ごうどじゅく)、ひがしに鵜沼宿(うぬまじゅく)につながる。
このみちしるべのうしろにだんごや。「だんごや」っていう屋号のだんごや。うちへのみやげにくさだいふく2ことまめだいふく2こをかう。いや、かえってたべたら、ものすごいあまかった。ものすごいあまいけど、すきとおったあまさだ。おすすめ。
ひがしにちょこっとすすんだみぎT字のとこに、また、みちしるべ。中山道はこのまま直進するだけど、おすし街道はみなみにまがっていく。
ひがしにすすんで、あっかい電車がいきかうふみきりにあたる。ふみきりのすぐみぎが茶所のえき。岐阜方面いきホームはこっちがわ、名古屋方面いきホームはあっちがわで、それぞれ独立で中山道に面して駅舎がある。
ところで、岐阜方面いき駅舎のすぐとなりに川出屋っていう雑貨屋。雪印牛乳のガラス冷蔵庫にはいった缶コーヒー。たなにおもてむきにならべてある週刊現代やフライデーの雑誌。ショーケースにはいったたばこ。いや~、えきにとなりあわせて、こういうみせがあるのがうれしい。ただ、みせばんのおばあさんにきいてみると、高架化のためのかり線工事で、このみせもたちのきになっちゃうとのこと。かなしい。
かえりの電車にのるべく、茶所のえきは名古屋方面いきホームにあがったとこで、みなみから、逆走のあとはんたい線に転線してはんたいホームにはいってくる特急電車がある。このえきのすぐみなみ、線路のひがしがわに車両基地があって、ほっからでてきた回送電車だ。ホームでいったん停止してから岐阜方面にでていっただけど、ふみきりを作動させてからでていったにちがいない。
さて、きたいきのあっかい電車と同時にやってきた、みなみいきのあっかい電車にのって、加納と茶所のたびをおえる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2020年6月11日、もくようび、平日
- 岐阜は加納のえきから…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年6月11日15:07
- 岐阜は加納のえきから茶所のえきにむかってぶらぶらあるいとるとこで、加納八幡宮っていうおみやさんを発見、おまいり。由緒がきの記述の一部に、「家康が岐阜城を廃して、加納城を構築」ってあるのをかくにん。
あー、ほういうことだったのか!
岐阜駅のすぐみなみがわが加納のまち。城下町でもあり、中山道の宿場町でもあった加納のまちだ。いっぽう、岐阜駅からずーっときたにいった、長良川に面したとこに岐阜城と城下町がある。ほんとなら、さいしょにできた東海道線のえきも、加納駅でよかったはずだ。なのになんで岐阜駅になったのか。
新政府にとってにっくき徳川のつくった「加納」なんかを駅名にできるもんか! ってことで、加納よりもとおくにある「岐阜」をえきのなまえにしただ。ほうにちがいない。
- 岐阜は加納のえきから茶所のえきにむかってぶらぶらあるいとるとこで、加納八幡宮っていうおみやさんを発見、おまいり。由緒がきの記述の一部に、「家康が岐阜城を廃して、加納城を構築」ってあるのをかくにん。
- あのたばこやのかどを…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年6月11日13:34
- すすめ、岐阜市内名鉄名古屋本線高架事業! - あきひこゆめてつどう|2016/11/07