きょう2022年3月28日、ちょこっとだけだけど八橋(やつはし)をあるいてきた。平安時代の初期に在原業平(ありわらのなりひら)がかきつばたのうたをよんだ八橋。中世は鎌倉街道のしゅくばまちだった八橋だ。
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えきまえでひるめしをくいおえて、知立(ちりゅう)から三河線のあっかい電車にのる。ちなみに、知立は近世東海道のしゅくばまちで、これからいく八橋よりあたらしい。
ひだりに巨大な高架構造物をみて、ふみきりをわたる。名古屋本線と三河線の電車がいきかうあかずのふみきりなだけど、高架完成のあかつきには解消する。
みぎにゆみなる複線から、単線でひだりに分岐する。りょうほう三河線だけど、みぎは刈谷、碧南方面にいく線で、ひだりが豊田市方面にいく線だ。
ぐいーんってひだりにゆみなりながら、名古屋本線をくぐる。
三河知立に停車。はんたいからあっかい電車がくるのをまって、しゅっぱつ。まえはこっから知立連絡線がみぎに分岐していっとっただけど、これまでのこっとった線路もだいぶ撤去されてきとる。知立のえきが高架になるのにあわせて、三河知立のえきはまっと豊田市方面に移転する。三河知立のなまえをひきつぐのかどうかもわからん。
東海道ふみきりをとおって、旧新の国道1号線をくぐる。くぐってすぐのみぎがわに用地が確保してあるみたいにみえるだけど、ここが三河知立のえきの移転さきかもしれん。
たんぼにおりていって、ひだりにゆみなっていく。
まちにはいって、みぎにゆみなっていく。
いきちがい分岐をひだりにはいって、高架をあがっていく。とちゅうでひだりにゆみなりながら高架をあがっていって、逢妻男川(あいづまおがわ)をわたる。
しましきのりばの三河八橋にとうちゃく。
のってきた電車をみおくって、地平のかいさつをでる。いや、ほれにしても、このえきのりっぱさはどうだ。
ひがしぐちからみなみにあるく。西逢妻橋で逢妻男川をわたる。じつはえきはとなりの花園(はなぞの)のまちにあって、かわをわたって八橋のまちにもどった。
みなみにすすんで、うらがわから無量寿寺(むりょうじゅじ)の境内にはいる。
本堂のうらにかきつばたひめ供養塔を発見。小野篁(おののたかむら)のむすめかきつばたひめが、あずまくだりの在原業平をこいしたってようやくこの八橋でおいついたけど、業平のこころをえることはできんくて、かなしんでいけにみをなげたっていう。ほのかきつばたひめをあわれんでたてたのが、この供養塔だ。1200年まえのものがたりがここにのこる。
おもてにまわって、本堂におまいり。とくべつに豪華なつくりじゃない、いりもやづくりひらいりのたてもんだけど、なんだかほねぶとさをかんじる。
おんなじ境内ひだりてまえに日吉山王社があって、おまいり。さらに境内には知立市八橋史跡保存館もあるけど、こんげついっぱいまでやすみ。
とりいから境内をみなみにでてすすんで、八橋町交差点を右折。鎌倉街道をにしにはいる。いや、鎌倉街道なんてのこっとるもんなだ。左右はほとんど住宅街だけど、なんか街道のかおりがする。業平もかきつばたひめも、京からこのみちをとおってきただ。
すすんで、ひだりに在原寺。ほのなのとおり、在原業平をまつってある。
すすんで、三河線をわたったすぐみぎに愛知県名勝八橋伝説地。あ、ここか。のってきた電車がたんぼをこえたあと、まちにはいってみぎにゆみなっていっただけど、ほのまちにはいってみぎにゆみなるとこがここだ。
おくのこやまのうえに業平供養塔があって、おまいり。
またにしにちょこっとすすんで、逢妻男川にかかる五輪橋(ごりんばし)。こっからえきにもどるべく、左岸の堤防をかわかみにあるいていく。竹橋までいったとこで、高架の三河八橋のえきから知立いきのあっかい電車がでていくのがみえる。新田橋で右岸にわたってかわかみにあるいていく。高架のコンクリート鉄橋にあたって、ひだりにちょこっといったとこがえき。
さっきみたつぎのあっかい電車で知立にかえる。
(さんこう)
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