ふるいのいぼじぞうさん

2023.1.1 (2) いぼじぞうさん 2000-1490 2023.1.1 ふるいのむかしのみち - 1890年 (3) 607-708

わがふるいのまちにいぼじぞうさんってじぞうさんがあるだけど、お堂のなかにあった由緒がきをよんでみた。わがやの属する亀山組(かめやまぐみ)がせわするじぞうさんでもあり、ここにしるしとく。

(うえひだりの写真がいまのいぼじぞうさん
(うえみぎの地図が1890年当時のふるい)

地蔵尊(いぼじぞうそん)の由来

今から140年前安城(あんじょう)と桜井西尾間の街道の辻に道標として建てられた地蔵尊である。これは人の一生の生くべき示唆を地蔵尊に託して建てられた地蔵尊である。保福寺の19世仏宗正道大和尚が建立した(地蔵尊の裏面に銘記)。之の地は古井神社(ふるいじんじゃ)の隣接に位置し、小高き土地の高台にあって、これを通称地蔵山と言った。この山にもう1基地蔵尊があった。こちらは石原茂衛門の寄進によるもので移転し現在保福寺本堂の南隣にある。

この土地は江戸時代徳川家の家臣旗本本多津島守の領地で菩提寺保福寺に寄贈した。

1933年道路改修の折現在位置に置かれた。今より約60年前或る地蔵菩薩信者が体中に出来た疣に悩まされ地蔵尊に日参し疣がなくなり全治する。尓来(じらい)疣地蔵尊と呼称され今日も直信者の参詣がたえん。

1982年8月22日第3回目御堂改築。每年8月に疣地蔵尊の大祭を営む。旧暦7月24日とされてきた。

1988年8月記す

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たてられたのが「いまから140年」まえっていうとこの由緒がきをかいたのが1988年だで計算して1848年ってことになる。まあ江戸時代末期ってことだ。みちしるべとしてたてたっていうほかに「人の一生の生くべき示唆を地蔵尊に託して」ってかいてあるけど、これはいまいち意味がようとれんな。ほいで、たてたばしょは地蔵山だっていう。いまたっとるとこは平地なだけど、となりのこだかいとこに墓地がある。むかしはいぼじそうさんのとこもふくめてこやまだったにちがいない。また、地蔵山の土地は旗本本多津島守が保福寺(ほうふくじ)に寄贈したもんだっていう。寄贈してもらった土地に保福寺がじぞうさんをたてただ。ここにまあ1基じぞうさんがあって、ほれがいまは保福寺の境内にあるってのもおもしろいはなしだ。

いぼじぞうさんっていわれるようになったのが「いまよりおよそ60年まえ」っていうと、計算して1928年ごろのことだ。西尾線が開通したのが1926年のことなだけど、「電車の線路工がじぞうさんにおまいりしていぼがなおった」ってはなしがあるで、ほのときのはなしにちがいない。おれも小学生のときにいぼができただけど、いぼじぞうさんのこいしでこすったらなおった。

「1933年現在位置におかれた」ってのは、ぜんぜんべつのばしょに移動したってわけじゃなくてわずかに位置をかえたってことだって古老にきいた。1982年8月22日の改築は、大工をやっとったわがちちおやの作になる。

2021.11.10 いぼじぞうさん由緒がき 2000-1500


【いぼじぞうさんのおまつり】