西川のあんでらさんこと法蔵寺のことが三河寺院紀行って本にのっとる。
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三河寺院紀行第115回岡崎組法蔵寺
法蔵寺(ほうぞうじ)
今回は岡崎組の法蔵寺さまをご紹介いたします。
【写真】法蔵寺本堂全景
山号院号 | 三光山法蔵寺(さんこうざんほうぞうじ) |
住職 | 市川真光(いちかわしんこう)尼上人(第4世) |
開山 | 覚蓮社賢誉上人心阿悟道智順沙弥尼 |
開基 | 石原三左衛門(いしはらさんざえもん) |
住所 | 〒446-0025安城市古井町西川38番地 〔電話0566-75-2394〕 |
道案内 | 名鉄西尾線「古井」下車徒歩7分 駐車場あり(15台程度) |
【写真】法蔵寺市川真光尼上人(第4世)
由緒、沿革
- 安城市古井町の住人、石原三左衛門翁は生まれながらに生家は貧しく、父が病弱であったため、一家の家計もおぼつかんものでした。
- 三左衛門翁は結婚して木綿商をはじめましたが、生来働き者で、正直で質素倹約の生活に努めて懸命に働いたため、事業は成功し大きな財を成すことができました。
- しかしながら、事業成功の中にも父母を亡くし妻に先立たれてこの世の無常を感じ、先祖供養のため寺院の創建を志しました。
- その折、妻が熱心な念仏信者であったため、「念仏の声がするお寺を作りたい」と願を起こしますが、町内にはすでに3軒のお寺があり、新寺建設には周囲の反対がありました。
- それならばと、石原家の屋敷があった土地を新寺に譲って他所に移り、また町民や他寺の負担にならずお寺が独立して生計がたつように、隣接しとった田畑をも新寺に譲って、1901年にお寺が建立され「三光庵」と名付けられました。
- その后、同じ安城市内の浄土宗大乗寺の先々代山口英信上人が兼務住職を務めとった京都府京田辺市の「法蔵寺」と合併協、整理され、1912年にその「法蔵寺」の寺号を引き継いで「三光山法蔵寺」と改められ現在にいたります。
【写真】法蔵寺=石原三左衛門翁使用の天秤棒
本堂、内陣
- 本堂は創建当時のもので、1902年のものです。
- 内陣正面には本尊阿弥陀如来立像、両脇には善導大師像、法然上人像が安置されております。
- 右脇壇には呑竜上人像が祀られております。当山第2世市川順光尼上人の願によりお祀りされ、「子育て呑竜さん」として信仰を集めております。
- 普段、内陣左脇壇は当山開基石原家の位牌壇として、先祖代々の位牌とともに三左衛門翁が商いで使っとった天秤棒が納められております。
- 取材に伺ったのは春彼岸の頃でしたので、左脇壇には当山の寺宝ともいうべき涅槃図と観経曼荼羅(仏説観無量寿経の内容を絵で表したもの)が掛けられておりました。
- 観経曼荼羅は不明ですが、涅槃図は1914年のものです。
- 大変保存状態が良く、100年ほど前にできたものとは思えんほど彩色も鮮やかに残っとって、寺宝として大切にされてきたものです。
- お線香の香りが染みついた本堂内には、いたるところに常に綺麗な花がお供えされとって、市川上人は「仏さま、三左衛門さまやご先祖さま、歴代住職さまへの思いからお花だけは切らさんようにつとめております」とおっしゃっとったのが印象的でした。
【写真】法蔵寺=内陣全景
【写真】法蔵寺=子育呑竜上人像
【写真】法蔵寺=開基石原三左衛門翁肖像画と先祖代々位牌壇
【写真】法蔵寺=釈尊涅槃図
【写真】法蔵寺=観経曼荼羅
境内
- 山門正面から境内を眺めてみると、数本の大きな松の木が目に入ります。
- 浄土宗では、松の木はお念仏のみ教えの象徴といただきます。
- 常緑樹の松がいつでも緑をたたえとるように、いつでもお念仏を称える者に恩恵を与えて下さるのです。三左衛門翁の「お念仏の声がするお寺を作りたい」との思いが形に表されております。
- 境内南には西国三十三観音のお堂があります。
- 中央には阿弥陀さま、その両脇に一番札所からそれぞれ違ったお姿の観音さま、そして両端にはお堂を護る四天王が祀られております。
- 本堂の右前には石原三左衛門翁ご夫妻の記念碑、地蔵堂、山門前には支那事変戦病死者供養の地蔵菩薩像があります。
【写真】法蔵寺=山門からの全景
【写真】法蔵寺=地蔵堂
8月16日 | 地蔵盆、三十三観音ご縁日(九万九千日法要) |
10月9日 | 子育呑竜上人会 |
每月16日 | 別時念仏会 |
〔2023年9月いつか訪問〕