2021年3月ここのか、高岡にある六鹿邸(むしかてい)にいってきた。中日新聞の記事に三河の名建築ってことででとった六鹿邸だ。じつは記事のでた翌日にいっただけど、あいにくのげつようやすみだって、こんかいでなおし訪問してきた。前后の道中もふくめて以下に紹介する。
〔電車で若林駅まで〕〔若林交流館〕〔バスで高岡コミセンバス停まで〕
〔六鹿邸〕〔バスで若林駅までもどる〕〔若林座あとち〕
◇ ◇
電車で若林駅まで
さいしょは西尾線。ふるいからきたいきのあっかい電車にのる。
高架のみなみあんじょうで、あっかい電車といきちがい。
東海道線をこえて、きたあんじょうに停車。
終点しんあんじょうにとうちゃく。地下かいさつのえきから橋上かいさつのえきにきりかわって、えきはぴっかぴかだ。
名古屋本線にのりかえ。ホームを移動して、にしいきの特急電車にのる。電車は、ぎんいろ電車とこおろぎ特急の連結で、先頭のぎんいろ電車のほうにのっていく。運転士さんはおんなの運転士さん。
あっかい電車とすれちがい。うしろはこおろぎ塗装。
牛田を通過。
知立にとうちゃく。のってきた電車をみおくり。
三河線にのりかえ。ホームを移動して、きたいきのあっかい電車にのる。
高架の三河八橋に停車。
地平をすすんで、いきちがいのあっかい電車のまつ若林にとうちゃく。
構内ふみきりまちで、のってきた電車をみおくってから、線路をみぎにわたって、かいさつをでる。
若林交流館
さて、若林駅西バス停をさがす。線路のにしがわにわたってさがすだけど、ない。
若林交流館の玄関にあった。若林駅にもなんにも表示がないし、となりの、いまはバス路線のなくなった若林駅バス停にも、「線路をにしにわたった若林交流館の玄関からバスがでてますよ」とかいう表示もない。不親切なことだ。
バスまちに若林交流館のなかを見学。「若林座があったころの地図」を発見。えきまえに若林座っていう劇場があったころの若林のまちの地図だ。にぎわいがつたわってくる。若林座は、1959年の伊勢湾台風でたてもんが被害をうけて、ほのまま閉館になったとのこと。また、この近辺には知立劇場、挙母劇場、若林座のみっつしかなかったとのことで、じもとのひとたちのほこりだったにちがいない。
館員さんに、いまはなき若林座のばしょをかくにん。若林駅のひがしから、三河線に平行する南北道路をきたにいったみぎがわにあるとのこと。六鹿邸をみたあとにいくことにする。
バスで高岡コミセンバス停まで
さて、若林駅西バス停から高岡地域ふれあいバスにのる。高岡地域ふれあいバスは、名鉄バス路線がなくなったあとにたちあがった自主運行バスを、豊田市がひきついで運行しとるバスだ。のりこんで、びっくり。「みょうちしもこうみんかん」いきのバスだっていう。ぐるぐるまわって最終的に明知下公民館ってとこまでいくことはしっとっただけど、ほれが「みょうちしも」ってよむとはしらんかった。
逢妻男川(あいづまおがわ)にかかる沖田橋をにしにわたる。
いくつかのちいさな開析谷(かいせきこく)にきざまれて起伏のある碧海台地(へっかいだいち)をすすんで、枝下用水(しだれようすい)をよこぎる。左右はたんぼ。枝下用水ができて、たんぼになった。
ほりわり構造の国道155号線のむこうに高岡中学校。
高岡中学校から幹線道路をへだてたきたがわ、高岡商工会館のしきちにはいって、さいしょのバス停、高岡商工会館バス停。
幹線道路をにしにすすんで、みちがひだりにゆみなっていったとこで、高岡中学校西交差点を鈍角に右折。
高岡コミセンバス停にとうちゃく。
六鹿邸
みなみがわにまわりこんで、六鹿邸の門をくぐる。
おくに六鹿邸のたてもん。
ひがしがわにおおきくおもや。一見2階だてだけど中2階。木造いりもやづくりかわらぶきひらいり。みぎよりに玄関があって、ひだりがわはずーっとえんがわ。わがやも基本的にこんなかんじなだけど、西三河地域の農家住宅の標準的な構成だ。
にしがわにちいさくよこや。木造ひらやかわらぶきで、おもやとかねのてにたてられとる。
ほねぶとだけど質素な玄関。
玄関をはいって、どま。うえにはりがむきだしになっとるのは、むかしのわがやもこんなかんじだっただけど、こんなにどぶといはりじゃあなかった。ひだりに部屋にあがっていくだけど、どまとの高低差のはげしいこと。みぎがわに展示資料。
つぎのどま。このおくにおかってば。
いったんたてもんのうらにまわって、土蔵を見学。案内がかりのおじさんの好意でご開帳。なかは、ぞんがいにせばい。こんな大邸宅なのにこの土蔵ひとつだっていう。
ふたたびたてもんのなか。とにかくひろい。みなみがわにみまあるだけでもひろのに、ひとまひとまのひろさが通常の3倍もある。天井もたかい。かもいもどぶとい。たてぐもどでかい。案内がかりのおじさんが、1枚いたでできたいたどなんか、おもたくてひとりじゃあがやへんっていう。
らんまはただ障子がはまっとるだけ。すかしぼりだとか、しゃれたもんはいっさいない。やっぱり質素だ。ほねぶとだけど質素だ。
きたにもみまあるうちのいしばんにしのまに、かみだな。仏壇はみあたらんくて、ここにあるかみだなだけだ。仏壇なみにでっかいかみだな。案内がかりのおじさんの好意でご開帳。
おもやからよこやまでつながる廊下。
さて、どまの展示資料をみていく。
高岡の史跡略図。江戸時代の集落が表示してあって、興味ぶかい。ひがしは、逢妻男川(あいづまおがわ)ぞいに大林、竹村、西田新郷、若林、吉原、中根、花園、駒場のやっつの集落。にしは、逢妻女川(あいづまめがわ)ぞいに乙尾、堤、中田のみっつの集落。中間は真空地帯。あわせて11の集落があるだけど、高岡っていうなまえの集落はない。さらに堤は町、本地、新馬場(しまんば)、本田、西山、前林、大島のななつにわかれて、さらにさらに町は平松、宮崎、御茶屋、上町(そらまち)、下町(したまち)のいつつにわかれる。いや、高岡の区域のなかで、圧倒的に堤の領土がひろい。
1823年の堤村絵図。
案内がかりのおじさんに、六鹿邸のたつここはなんていうとこかってきくと、新馬場(しまんば)だっていう。ここも堤のうちだ。ちなみに、おじさんは中田の住人だっていう。
江戸時代高岡の村別領主いちらん。堤村をはじめとする11の集落のほとんどが刈谷藩領で、大林村とか一部が岡崎藩領。
明治大正期の高岡。1889年、ほれまで11あった集落が、駒場村、若園村、堤村、竹村の4か村に再編。枝下用水(しだれようすい)は、1892年に中用水、1894年に西用水が完成。きょうバスでよこぎってきたのは西用水。この西用水ができて高岡の碧海台地にもみずがくるようになった。1906年、さらに4か村が合併して、はじめて高岡村ができる。戦后、1956年に高岡町にかくあげ。1965年に豊田市に合併。
六鹿清七(むしかせいひち)。このひとが、六鹿邸をたてたひとだ。明治維新后、材木商をいとなんで陸軍名古屋師団の御用商人をつとめとったけど、「くにのもとは農業にある」っていう信念から当時は原野だった高岡の新馬場(しまんば)の地にうつりすんで、開墾に着手。枝下用水の開通をみとおして水田を造成。1902年ごろまでに、およそ160ヘクタールの開墾に成功。じつは、開墾したのが枝下用水の開通まえかあとか、おれとしての疑問をもっただけど、開通をみとおして事業をすすめていっただ。いや、ほれにしても、開墾した面積が160ヘクタールってすごいな。正方形だと1,265メートル四方だ。
六鹿邸について。1907年建築。おもやのだいこくばしらはけやき材が、はしらはつが材がつかわれ、どまからみることができるはり、ふといかもいは、材木商にあいふさわしい堂々たる材木である。邸内には、現存の土蔵のとなりにまあ2棟土蔵があったほか、おもて門付近には年貢米を収納するくらがあったっていう。やっぱり、土蔵はほかにもあっただ。
1947年、高岡村が六鹿邸をゆずりうける。1978年、明治期の建築をつたえる建造物として豊田市有形文化財に指定される。
六鹿広尾(むしかひろお)。このひとが六鹿清七のおくさんで、実家は、岡崎は美合(みあい)の本宗寺(ほんしゅうじ)。
見学をおえて、六鹿邸をあとにする。
バスで若林駅までもどる
高岡コミセンバス停からかえりのバスにのる。
碧海台地のたんぼんなかをいく。
むこうにふみきりをいくあっかい電車がみえる。
若林交流館玄関の若林駅西バス停にとうちゃく。
若林座あとち
あっかい電車のいくふみきりをひがしにわたる。
三河線に平行する南北道路ぞいのみせで、てんどんのひるごはん。
南北道路をきたにあるいて、いきに若林交流館の館員さんにきいといた、若林座のあとちをみてみる。若林耳鼻咽喉科駐車場のおくにあったっていうだけど、若林座のとなりにあったっていうふるびたたてもんがのこっとるだけど、つわものどもがゆめのあとってかんじだ。
さらに南北道路をきたに平針街道につきあたるまであるいていくと、ほのつきあたりに近江屋っていうわがしやさん。これも、若林交流館にあった「若林座があったころの地図」にのっとったみせだ。変則交差点のなかにあって、みせのまえの駐車場はじつにクルマのではいりが難儀なだけど、ほれにもかかわらずようはやっとるのにおどろく。
みせにはいって、うちへのみやげに豊田街道ってなまえのまんじゅうをかう。ここまであるいてきた南北道路は、みぎクランクしてさらに豊田のまちのほうにつながる。
えきにひきかえして、かえりの電車にのる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2021年3月ここのか、かようび、平日
- ふるい 9:02 → (しんあんじょういきふつう) → 9:10 しんあんじょう
〔5.7km、8分、42.8km/h〕 - しんあんじょう 9:12 → (岐阜いき特急) → 9:16 知立
〔4.8km、4分、72.0km/h〕 - 知立 9:20 → (猿投いきふつう) → 9:30 若林
〔6.2km、10分、37.2km/h、ふるいから若林まで410円〕 - 若林駅西バス停 10:10 → (高岡地域ふれあいバス - 路線[1]明知下公民館いきバス) → 10:16 高岡コミセンバス停
〔6分、200円〕 - 高岡コミセンバス停 12:34 → (高岡地域ふれあいバス - 路線[1]若林駅西いきバス) → 12:40 若林駅西バス停
〔6分、200円〕
- ふるい 9:02 → (しんあんじょういきふつう) → 9:10 しんあんじょう
- 若林のえきとあっかい電車 - 2021年3月ここのか - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/03/14
- 若林座 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/03/13
- 若林座があったころの地図 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/03/13
- 六鹿広尾(むしかひろお) - 六鹿邸掲示資料 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/03/10
- 六鹿邸(むしかてい)について - 六鹿邸掲示資料 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/03/10
- 六鹿清七(むしかせいひち) - 六鹿邸掲示資料 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/03/10
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- 高岡地区の変遷 - 六鹿邸掲示資料 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/03/10
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- 【電車クイズ!】|いわせあきひこ|フェースブック|2021年3月9日16:56
- 廊下。|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年3月9日
- あるきとバスでいく高岡のたび - 2021年3月ついたち - あきひこゆめてつどう|2021/03/06
- 左右、道路にそって市街地になっとる。みせや事業所もあるなか、だんだん道路がひだりにゆみなっていく。道路は、ダンプカーやトラック、カーキャリアカーをふくめてクルマがいっぱいいきかう。ほとんどみなみむきになった道路をどんどんあるいていく。めざしとるのは六鹿邸(むしかてい)。きのうだかおとついだか中日新聞に紹介されとった六鹿邸だ。ジャックと豆の木からは、スマホでグーグル地図をみながらすすんどる。
みぎ、とおくに刈谷ハイヱーオアシスの観覧車がみえる。ほんなとこまであるいてきたのか。
ひだり、かぶしき会社イデキューの事務員のおねえさんがひとりあるいとる。クルマばっかりがいきかうなか、ここだけあかるい光景だ。ほのてまえのみぎT字をはいっていく。すぐ左右はたんぼになる。開析谷をくだってのぼる。のぼったとこは新興住宅街。このあたりでひだりにまがると六鹿邸があるはずなだけど、ない。 - きをとりなおして、おおいにもどる。けっこうあせばみながらあるいていく。
ついに六鹿邸にとうちゃくしたけど、やすみ。あ、きょう、げつようびだ。 - 六鹿邸のうらに豊田市高岡コミュニティーセンター。略して高岡コミセン。いやいや、おしろみたいにりっぱなたてもんだ。むかしは碧海郡に属したけど、いまは豊田市に属する高岡。豊田市の財政力のたまもんか。ただ、このまわりもまちになっとるわけじゃない。むしろさびしいとこだ。
- 左右、道路にそって市街地になっとる。みせや事業所もあるなか、だんだん道路がひだりにゆみなっていく。道路は、ダンプカーやトラック、カーキャリアカーをふくめてクルマがいっぱいいきかう。ほとんどみなみむきになった道路をどんどんあるいていく。めざしとるのは六鹿邸(むしかてい)。きのうだかおとついだか中日新聞に紹介されとった六鹿邸だ。ジャックと豆の木からは、スマホでグーグル地図をみながらすすんどる。
- <みかわの名建築> (20) 六鹿会館(豊田市高岡町):中日新聞|2021年2月28日 〔※ 会員限定〕
- 1907年の建造から100年以上。時代を感じさせる木造平屋の邸宅の玄関をくぐり、ひんやりとした土間から左をのぞくと、時代劇に登場するような広い和室が奥まで続いとる。(※ つづく)
- 六鹿邸のどま - おぼえ (あきひこ ゆめてつどう)|2021/03/15 〔※ 限定公開〕〔ついか〕
- 六鹿邸の土蔵 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/03/15 〔ついか〕
- 若林からふるいまで - 2021年3月ここのか - あきひこゆめてつどう|2021/03/16 〔ついか〕