2020年9月15日、丹波のくには亀岡までいってきた。まえに、但馬のくには豊岡までいったときにとおりすぎた亀岡のまちを、はじめてたずねた。明智光秀が丹波侵攻のてがかりに亀山城をつくったっていう土地で、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』でほのばめんにいくまでに現地をみときたかった。ちなみに、亀山ってのがもともとの地名で、明治になって伊勢の亀山とまぎらわしいってことで、亀岡にかえられたっていう経緯がある。保津峡ごえをふくむ現地までの道中とあわせて、亀岡まちあるきのようすを以下に紹介する。
〔名鉄で名古屋まで〕〔新幹線で京都まで〕〔山陰線で亀岡まで〕〔亀岡まちあるき〕(関係地図)
◇ ◇
名鉄で名古屋まで
ふるい6時49分の岩倉いき急行にのって、西尾線の単線をきたにすすむ。電車は4両編成きんぎょばちのあっかい電車。
乗客はたちきゃく6わり。つぎのみなみあんじょうで運よくすわれる。きたあんじょうを通過。
名古屋本線と合流するしんあんじょうは、むかいの4番のりばから岐阜いき特急のパノラマスーパーがでていくのと同時に、3番のりばにはいっていく。のりかえはできん。
ここで、まえに2両編成鉄仮面のあっかい電車を連結。こっからは岩倉いきふつうにかくさげになってでていくだけど、作業のあいだに4番のりばに一宮いき急行のあっかい電車がはいってきて、さきにでていくのをみおくる。ほとんどのひとは一宮いき急行にのりかえていったけど、岩倉いきふつうにのりつづけるだ。
しんあんじょうをしゅっぱつ。名古屋本線をにしにすすむ。乗客は座席に8わり。牛田に停車。おもったほどのってこん。
7時6分、知立は5番のりばにとうちゃく。あさの通勤時間帯だでけっこうなかずのひとがおるだけど、ホームもかいさつのへんもやけにしずかだ。しんがたコロナウイルスさわぎのえいきょうで活気をうしなっとるってかんじか。
しばらくまって5番のりばにはいってきた知立7時22分の岐阜いき快速特急にのって、また、名古屋本線をにしにすすむ。電車は、6両編成貴婦人特急のまえに、2両編成ぎんいろ電車を連結したやつで、うしろから2両めの特別車2号車8Bにすわっていく。しんあんじょうで一宮いき急行にのりかえんかったのは、これが理由だ。特別車ですわっていきたかっただ。特別車両券はきのうのうちに名鉄ネット予約サービスで確保しといた。
電車はゆったりすすむ。あさの通勤時間帯は電車だっておそいだ。本笠寺をゆっくり通過。神宮前はちょこっと調整停車のあと、しゅっぱつ。金山をでてみぎ15度に摩天楼。
トンネルにもぐって、7時48分、名古屋にとうちゃく。
新幹線で京都まで
名鉄から新幹線にのりかえ。17番のりばにはいってきた名古屋7時58分の新大阪いきのぞみ275号にのる。指定席はとってなくて、1号車から3号車までの自由席のうち、喫煙室にちかい3号車にすわっていく。
濃尾平野をにしにすすむ。
車内販売のおねえさんがまわってきて、コーヒーを注文。
8時32分、京都は14番のりばにとうちゃく。名古屋からここ京都まで134.3km、34分、237.0km/h。いや、表定速度237キロって、なんちゅう破壊的なはやさだ。新幹線にのるって、時間をかうってことだ。
いったん新幹線ホームからしたにおりたとこにあるのりかえかいさつをぬけて、また、こせんきょうをあがっていちばんとおくの山陰線のりばにむかう。
山陰線で亀岡まで
こせんきょうをおりて、地平に30番から33番まである山陰線のりばのひとつ、31番のりばにとうちゃく。まあはい京都8時42分の園部いきふつうがまっとる。しんがりクモハ221-64は221系電車。
まえにあるいていくと、電車は4両編成を2本連結した8両編成で、先頭クハ221-74も221系電車。最新の225系やひと世代まえの223系がはいいろの車体なのにたいして、ふた世代まえのこの221系はしろい車体なだけど、なかなかかっこいい。座席はちゃいろの転換クロスシートで、車内はおちついたかんじだ。
発車まちをするうちに、ひだりの30番のりばから特急きのさき、まいづるがでていくのをみおくり。これにのっていったほうが亀岡にははよつくだけど、保津峡ごえをこのめでしっかりみるために、前面展望のない特急にのるのはやめて、ふつうにのることにしただ。
定刻になって、にしにむけてしゅっぱつ。乗客はたちきゃく2わり。あさの時間帯の郊外方面にむかう電車で、8両編成でこいだけのっとるなら、まあ乗客はおおいっていうべきか。
すぐに、ひだり東海道線電車とすれちがい。
東海道線からはなれてみぎにぐいーんっておおきくまがって、高架をあがりながら、進行方向をきたむきにかえていく。
進行方向がきたむきにかわりきったとこで、相対ホームはんたいホームに京都いきふつうのとまる、梅小路京都西(うめこうじきょうとにし)に停車。まえに豊岡にいったときにはまんだなかったえきで、あたらしいえきだけにホームドア完備だ。京都いきふつうも221系電車。
高架をすすんで、しましきホームの丹波口(たんばぐち)に停車。ようけ乗客がおりるのにびっくり。山陰線はこっからまあちょっときたまでいってからにしにむきをかえて丹波のくににはいっていくだけど、山陰街道はこの地点からにしにすすんで、老ノ坂とうげ(おいのさかとうげ)をこえて丹波のくににはいっていく。丹波口ってのは、丹波にむかう山陰街道が、京都市内のこっからでとるよっていう意味なだ。
高架しましきホームの二条(にじょう)に停車。ホームだけじゃなくて上下の線路をふくめておおう、かまぼこがたっていうか落下傘がたっていうか、っていうかたちのやねがとくちょうだ。ここでまた、221系の京都いきふつうとすれちがい。
ひだりにぐいーんっておおきくまがっていく。
進行方向がにしむきにかわって、高架しましきホームの円町(えんまち)に停車。
ひだりに花園大学。ゆるいひだり曲線をとおる。
高架しましきホームの花園(はなぞの)に停車。ホームだけじゃなくて上下の線路をふくめておおう、マンサードがたのやねがとくちょうだ。しゅっぱつするとこで、特急きのさき6号とすれちがい。まっしろな車体はきれいだけど、なんで前面をしろい鉄板でべったりおおっとるのか理解にくるしむ。
いったん地平におりて、また、高架をあがる。
地平におりて、相対ホームはんたいホームに京都いきふつうのとまる、太秦(うずまさ)に停車。いや、いまの高架はなんだったのか。このえきはふるくからあるえきみたいで、ホームはせばい。
地平をすすんで、2面4線の嵯峨嵐山(さがあらしやま)は、くだりホームうちがわの3番のりばに停車。
ところで、ひだりどなりのトロッコ嵯峨駅に、ディーゼル機関車がけんいんするトロッコ列車がとまっとって、おんなの駅員さんがうれしそうに写真をとっとる。このさきの保津峡ごえに、わが園部いきふつうはトンネルがいっぱいの新線をいくだけど、このトロッコ列車はなんども蛇行する保津峡にそってはしる旧線をいくだ。トロッコ列車の起点がここトロッコ嵯峨駅になる。
いよいよさいしょのトンネル、小倉山トンネルにはいる。トロッコ列車は、トンネルのいりぐちてまえでひだりに分岐して、旧線のみじかいトンネルにはいっていく。分岐点と旧線トンネルいりぐちのあいだには、かためんホームのトロッコ嵐山駅があって、なんにんかが列車をまっとる。
しばらくして小倉山トンネルをでる。でてすぐに、あっかいごっつい鉄骨ぐみのアーチ橋で保津峡をわたる。
わたってすぐに、2番めのトンネル、第1保津トンネルにはいっていく。いや、鉄橋のしたには保津峡がながれとって、旧線もはしっとるはずなだけど、まったくみとる余裕なんかない。
しばらくして第1保津トンネルをでる。でたとこが相対ホームの保津峡のえきで、はんたいホームに先着の京都いきふつうがとまっとる。保津峡も旧線もホームのした。
ホームのめのまえ、みっつめのトンネル、第2保津トンネルにはいっていく。
しばらくして第2保津トンネルをでる。でてすぐに、ガーダー橋で保津峡をわたる。
やっとのことでガーダー橋のしたに保津峡をみる。
わたってすぐに、よっつめのトンネル、朝日トンネルにはいる。
すぐに朝日トンネルをでて、ガーダー橋で保津峡をわたる。
わたってすぐに、いつつめのトンネル、愛宕トンネルにはいる。
わたってすぐに、むっつめのトンネル、地蔵トンネルにはいる。いや、じつにめまぐるしい。
しばらくして地蔵トンネルをでると、めのまえにおだやかに亀岡盆地がひろがる。じつに連続するむっつのトンネルをくぐって保津峡ごえをはたして、山城のくにから丹波のくににはいった。山陰道さいしょのくに丹波だ。
亀岡のまちにむけてゆるいくだりざかをくだっていくとこで、みぎにトロッコ亀岡駅。延々と保津峡ぞいの旧線をはしってきたトロッコ列車は、ここが終点になる。
相対ホームの馬堀(うまほり)に停車。
線路のひだりがわにうちはあるけど、みぎがわはずーっとたんぼ。このあたり、線路からみぎ保津川までちょっときょりがあるだけど、このかんは氾濫原(はんらんげん)だって、ひとのすめるとこじゃなかったみたいだ。たしかにすぐしもに保津峡があったじゃ、ここが氾濫原になるのもしょうがないのかもしれん。
亀岡のまちがちかづいて、年谷川(としたにがわ)をわたる。
正面みぎにサッカー場。いや、京都サンガの本拠地サンガスタジアムがこんなとこにあったとは。
ひだり曲線をすぎて、9時10分、2面4線の亀岡はくだりホームうちがわの3番のりばにとうちゃく。さきにはんたいホームうちがわの2番のりばにとまっとったのは、211系の京都いきふつう。
ここまでのってきた電車をみおくって、橋上かいさつをでる。ひがしむきにでるかたちで、めのまえガラスごしにサンガスタジアム。
亀岡まちあるき
橋上かいさつをでたとこからみなみに亀岡のまちをみる。いや、しろにさえぎられてまちなかがみえんっていうべきか。まっすぐのびていくべきひろいみちは、すぐにしろのほりにあたっていきどまりになる。まちなかは、ほりのむこうのしろのまたむこうだ。亀岡は城下町としてできた。きたがわ、保津川の氾濫原によったほうにしろをつくって、ほっからみなみにまちをつくっただ。亀岡のえきはしろのうらがわにできた。えきからまちなかがみえんくてあたりまえだ。
地平におりて、えきまえロータリー。みぎにおおきくバスロータリーがあって、ひだりにちいさくタクシーロータリーがある。ぜんたいにたいらかでこのましい。バスは京阪京都交通バス。
さて、まちなかにいくためにしろを迂回していくだけど、みぎがわ、にしがわからまわっていくことにする。
バスロータリーのわきをとおっていくとこで、なんかのみせのまえに「石田梅岩のおしえ」のかんばんを発見。「性をきわめるための修行をするひとは、なかなかみちをきわめれんことにくるしんで、なんでだ、なんでだって日夜なやむだけど、とつぜんさとりがひらける。ほのときのうれしさをたとえていうと、なくなったおやがよみがえってめのまえにあらわれるっていう、ほれぐらいのうれしさだ」ってなことがかいてある。石田梅岩ってのは江戸時代の思想家だけど、むかしも性についての関心はたかかっただ。おしえの文章のしたに「ひだり心学のみち」ってかいてある。
にしにあるいていく。むやみにひろくないみちにひとどおりもそこそこ。クルマもそこそこ。みぎに亀岡郵便局。ひだりに割烹はっとり。歩道に「がんばれ京都サンガ」のはた。ひだりおくに西友。ひだりに京都中央信用金庫亀岡駅前支店。位置的には「えきよこ」だけど、これが実質的なえきまえどおりだ。
さいしょの信号交差点でふれあいどおりっていうとおりをみぎななめによこぎって、さらににしにすすむ。京阪京都交通バスもいく。みぎに京都銀行亀岡支店。ひだりにがんこ楽々荘の塀がつづく。かわらやねつき、くろいいたばりの塀だ。みちがひだりにゆみなっていって、みぎにお料理玉川楼。
〔北町商店街〕
信号交差点を左折。「心学のみち」は右折だけど、左折。中央線もなくふぜいのあるとおりが東南方向にのびていく。こっからまちなかにつながっていくだ。ちいさなはしをわたってとおりにはいっていく。ちいさなはしは、いしづくりのらんかんにきんぴか擬宝珠(ぎぼし)のついたりっぱなもんで、このはしで雑水川(ぞうずがわ)をわたる。雑水川はしろきたのほりにつながって、さらに保津川につながる。はしのわき、りっぱないしぶみに「亀岡銀座北町商店街」の文字。
すすんで、ひだりにがんこ楽々荘のいりぐち。みぎ、島村歯科医院の玄関わきに「銀札会所あと」の説明がきがあって、よんでみる。「江戸時代なかごろ、亀山藩では松平(形原)信岑が藩主となったころから本格的に銀納が導入され、亀山藩にとっても現金収入が不可欠となる。この付近は銀札のとりひきじょである銀札会所があった」とのこと。なるほど、石高制(こくだかせい)経済から貨幣経済に移行する時期、ここがかなめのばしょだっただ。すすんで、左右にふるい商家づくりのたてもんもちらほら。みぎに本と文具のみせやまざき商店。
〔内丸町商店街〕
信号交差点を直進。ひきつづき東南方向にすすむ。みぎ亀岡市立図書館のとこで、みちがみぎにくのる。「くのる」ってのは「くの字におれる」って意味だ。
くのって進行方向がみなみむきになったとこから「内丸町(うちまるちょう)商店街」のかんばんがあらわれる。
みぎ、図書館のしきちのなかに「清風」っていう題の銅像。わかいおんなのはだかの銅像、いいな。
すすんで左右に、はんこや、ふとんや、たばこや、池佳っていう料理や。
ひだりにはいっていったとこに、しろあといりぐちを発見。ただし、「しんがたコロナウイルスさわぎのため、城址見学はいっさいおことわり」とのこと。わきにあった「丹波亀山城あと、大本天恩郷」っていう説明がきをよんでみる。「亀山城は3期にわけて完成した近世平城(ひらじろ)。第1期は、1577年から1579年の明智光秀による築城。第2期は、豊臣秀吉の支配下、小早川秀秋による城下町整備。第3期がいちばん大規模なもんで、岡部長盛(おかべながもり)が亀山藩主のとき、大阪城の包囲網として西国大名の夫役(ぶやく)による天下普請で完成。1878年、廃城。1919年、荒廃しとったしろあとを教団『大本』がかいとって、いしがきをつみなおして『天恩郷(てんおんきょう)』として神苑整備した」とのこと。
みちがまたひだりにくのって東南方向にすすむ。ひだりにカラオケみずほ。みぎにナイトラウンジフタバ。みえんけど、ひだりおくに亀山高校。みぎに亀岡小学校。ひだりに亀岡中学校。文教地区だ。みぎに木造かわらぶき2階だての京都清水運送。
〔大手門どおり〕
みちがまたみぎにくのってみなみむきにかわるとこで、ひだりにあった形原神社におまいり。社殿はにしむき。本殿は銅板ぶきながれづくり。中門はおなじく銅板ぶき唐破風(からはふ)つき。
形原神社の説明がきがあって、よんでみる。「1748年に丹波篠山から亀山藩へ入封(にゅうほう)した形原松平信岑(のぶみね)を主祭神とし、歴代藩侯をまつるやしろとして1880年に旧藩主をしのんで創祀された」とのこと。いや、松平信岑って北町商店街の「銀札会所あと」の説明がきにかいてあったひとじゃんか。江戸時代なかごろのとのさまが明治になってからまつられれたって、よっぽどしたわれたとのさまだっただ。
ほかに「丹波亀山城大手門あと」の説明がきもあって、「城内から5方向に城門があっただけど、ここはみなみ方面正面の大手門があった」とのこと。いや~、ずーっといっぽんみちで、北町商店街から内丸町商店街をとおって、大手門にたどりついただ。内丸町商店街の「内丸」ってのは「丸の内」の意味にちがいない。
また、「御館あと」の説明がきもあって、「城内本丸御殿がてぜまで、このへんに藩主の居館として御館がもうけられた。対面所として典型的な大名屋敷だ」ってかいてある。
さて、みぎにくのったみちをみなみにすすむ。こっからは便宜的に大手門どおりってよぶ。すぐみぎに「御勘定所」の説明がき。とおりには「H商店街」のかんばんがあらわれるだけど、H商店街ってどういう意味だ。みぎに美容室。またみぎにうどんどんぶりもんのさか井食堂とやきたてパンポワール。
〔本町どおり〕
ところで大手門どおりに面するさか井食堂とポワールのあいだに、みぎにはいっていくみちがあって、いりぐちにたっとるりっぱないしぶみに「本町どおり」の文字。おー、ここが本町か。本町ってとこがまちなかのなかのまちなかにちがいないっておもって、ここまできただ。
本町どおりをにしにはいっていく。いりぐちみぎに「丹波亀山城高札所あと」のかんばん。高札所ってのは、「こんな法律ができた」ってことを住民にしらせるための掲示板なだけど、これがあるってことがここがまちの中心であることのあかしだ。ただ、本町どおりっていうわりには左右は住宅街だ。
みぎに門塀(もんぺい)つきのりっぱな旧家。説明がきもたっとるだけど、字がかすれとってよめん。
ひだりに平岡医院。すすんで、ひだりに呉服きものドクターかたやま。みぎ、みちのわきに三輪山の説明がき。亀岡祭にだす山鉾が各所にあるだけど、ほのうちのひとつ三輪山山鉾がここにあるだ。
ところで「このみちは旧山陰街道です」っていうかんばんがでとる。おー、このまちなかを山陰街道がとおっとるのか。
みぎおくのつきあたりにおてらがみえる。いってみると法華寺っていうこぢんまりとしたおてらで、説明がきに城内でいちばんふるいおてらってかいてある。境内でくさとりをしてみえたおくさんにあいさつをして、おまいり。ことばは京ことばだ。法華寺からにしにもいくつかおてらがつながってある。本町どおりからおくに、てらまちが平行してあるだ。てらまちのきたに亀岡小学校の校庭がみえる。
本町どおりにもどってにしにすすむ。左右は住宅街。
すすんで、みぎにふるい商家づくりのたてもん。亀岡市観光協会がつかっとる。
つづいて、みぎにふるい商家づくりのたてもん。「アレックス探索警備犬研究所」っていうかんばんがでとって、なかでいぬがなくのがきこえる。ふたつのたてもんともつまいりで、おおきな三角のつま面がとおりに面しとるのがとくちょうだ。
〔紺屋町どおり〕
T字につきあたって、右折。きたにすすむ。とおりのなまえはわからんけど、まちのなまえをとって便宜的に紺屋町どおり(こんやまちどおり)てよぶ。ひだりみちばたに、また、「このみちは旧山陰街道です」っていうかんばんがでとる。やっぱり城下町のなかはななまがりになっとるみたいだ。
すすんで、みぎにさかぐら。ふるーいつくりのかわらぶき2階だて、あるいは中2階だてのひらいりのたてもんで、のれんに「井づ源」ってでとるけど、あとでたしかめたら関酒造っていうさかぐらだった。
また、きたにすすんで、みちがひだりクランク。クランクがおわりになるへんで、ひだりにシンパティカリモーネっていう食堂があるのをかくにん。あやうくみのがしそうになったほどめだたんみせだけど、事前のしらべで「うまい食堂」にあげられとったみせだ。えきからここまでずーっとあるいてきた。ほんとはじもとのひとがやっとる喫茶店でいっぷくしたかっただけど、てきとうなみせがみあたらんままここまできた。ひるごはんにすることにした。11時の開店をまって、っていうか、開店まちではいっていったひとたちのあとにつづいて、みせにはいる。開店まちしとったのはおくさん3人ぐみと、おひとりさまのおじさん。
料理はコース形式。前菜にしろワインとみきれのパン。みきれのパンにはそれぞれべつのおかずがのっとって、そうとううまい。これだけで感激した。主菜にチキンカツの和風オムライス。これまたうまい。つけあわせにでてきた、だいこんのしょうちゅうづけまでうまい。つけもんはあんまりすきなほうじゃないだけど、ほんなおれがうまいっておもうほどのうまさだ。
食后にたんぽぽコーヒーとあまみのセット。いや、たんぽぽコーヒーのあまいこと。砂糖もなんにもいれんでもあまいって、おどろきだ。このシンパティカリモーネの料理をたべただけでも、亀岡まできたかいがあった。
ちなみに、みせのひとやおきゃくさんたちがつかっとったのは京ことば。
紺屋町どおりをみなみにもどっていって、ひだり本町どおりのいりぐちもすぎたとこで、ひだりに土蔵。
〔柳町どおり〕
十字路を左折。柳町どおりをひがしにはいっていく。本町どおりのみなみに平行するとおりだけど、このとおりもやっぱりいりぐちに、「柳町どおり」ってかいたりっぱないしぶみがたっとる。左右は住宅街。住宅街のなか、みぎに野原和装店。H商店街加盟のかんばんがでとる。ここもH商店街のうちなだ。
すすんで、みぎに高砂山のだしぐら。
となりに「柳町どおり高砂山鉾のまち」っていう説明がきがあって、よんでみる。「1577年、明智光秀の亀山城築城により城下町が形成されて、ひがしは旅篭町(はたごまち)からにしは紺屋町(こんやまち)にいたる280メートル、戸数57軒のまちなみだった。この高砂山鉾は1755年に造営されたもんで、現在のこる11基の山鉾のなかで3番めにふるい。また、おきなとおうなをご神体にしとるだけど、播磨のくに高砂神社の分霊だって推定されとる」とのこと。
説明がきには亀岡祭山鉾案内図っていう地図もついとって、まちのようすがようわかる。だいだいいろにぬってあるみちが山鉾巡行の経路なだけど、この範囲がむかしからつづくまちなのにちがいない。
〔旅篭町どおり〕
ひがしに大手町どおりと交差する十字路にでて、さらにひがしに旅篭町どおり(はたごまちどおり)ってなまえをかえたとおりにはいっていく。いや、このとおりがいちばん活気がある。すぐみぎにダイハツ沼田モータース。またみぎにおこのみやきみえ。つづいて福島内科医院。亀岡旅篭郵便局。ひだりに仕合歯科矯正歯科。介護医療院はたごまち。
みぎに稲荷山の説明がき。ここにも山鉾があるだ。つづいて、お料理、すし、しだしの八百捨。ひだりにミゾツラ電器。成田米穀。
すすんでひだり、おおきなしきちに天理教亀岡大教会。がっちりした、かわらやねつきのコンクリート塀がやってある。みぎに酒井工務店。城南っていうみせ。理容オガワ。城南とオガワには、やっぱりH商店街のかんばんがでとる。どうもこのまちなかの碁盤のめになった範囲でH商店街を形成しとるみたいだ。
すすんで、光秀号のコミュニティーバスとすれちがい。
〔横町どおり - みなみえ〕
十字路にでたとこで、東北かどに「丹波亀山城古世門あと」のかんばんを発見。「大手門よりひがしよりに位置するみなみ方面への城門」ってかいてある。大手門につぐふたつめの城門の発見だ。
十字路からみなみにすすむ。この南北のとおりは、まちのなまえをとって、便宜的に横町どおり(よこちょうどおり)ってよぶ。すぐひだりにこばやし文具。つづいてカナリヤ本店。このみせもH商店街のかんばんがでとる。いや、ほれにしてもこの横町どおり、クルマのとおりがおおいわ。みなみからきたからひっきりなしにクルマがやってきて、きをつけとらんとぶつかっちゃう。ひだりに寿屋薬局。つづいて、ふるいつくりの住宅。みぎに5階だてのマンションがあって、ほの1階にらくだ薬局、コインランドリー WASH FACTORY、スペイン料理サルテン。サルテンには「10月再開予定」のはりがみ。
十字路の東南に丹山酒造。土蔵風のたてもんのおおきなみせだ。
〔呉服町どおり〕
十字路からにしに呉服町どおり(ごふくまちどおり)にはいっていく。
ひだりに糟谷邸。木造かわらぶき中2階だてのふるいたてもんだ。ひとがあんまり接近せんように、外壁のそとがわにいぬやらいまでやってある。
すすんで、左右は住宅街。みぎに浦島山のだしぐらと丹波亀山城ひのみやぐらあと。
大手門どおりにT字につきあたって、左折。みなみにすすむ。
〔京町どおり〕
ひだりT字をひだりにはいって、京町どおりをひがしにすすむ。このとおりもやっぱりいりぐちに、「京町どおり」ってかいた常夜灯風の門柱がたっとる。しばらく左右は住宅街。
みぎに「丹波亀山城惣構」の説明がき。「丹波亀山城は内堀、外堀、惣構(そうがまえ)の3重のかまえになっとった。惣構は、軍事的緊張のたかかった戦国時代末期から江戸時代初頭にかけて、家臣団屋敷のほか、町屋、職人町、下級武士街、寺社までも土塁やほりでかこみ、防御目的のためにつくられたもんであり、でいりぐちには門や木戸(きど)をもうけた。惣構の規模は、ほりがはば10メートル、ふかさ2、3メートル、土塁がはば10メートル、たかさ4、5メートルで総延長3キロ弱」とのこと。地図をみてみると、まさにこのあたりを東西に惣構がはしっとっただ。惣構があるのはわが三河の岡崎城もいっしょだけど、ほりと土塁でがっちり城下をまもっとっただ。
説明がきのとなりっていうかおくに京町天満宮があって、おまいり。ひらやだて、かわらぶき、つまいりの年季のはいったたてもんで、いしのとりいがつまいりがわののきしたにおさまっとるのがおもしろい。
また、左右は住宅街。ひだりに古世地蔵堂。
〔横町どおり - きたえ〕
横町どおりとまじわる十字路までいって、右折。ちょこっとみなみにいったとこにあったマツモト中央店の喫煙所でいっぷく。いや~、あっついなかじつにようあるいた。明智光秀が築城して以来のまちなみもしっかりのこっとることがわかった。
えきにもどることにして、横町どおりをきたにあるいていく。こんどはしろのひがしがわをとおって、えきにもどるだ。
古世門のとこからはくだりざかになる。また、こっから中央線があらわれる。ひだりに美容院ルーモエスト。一帯はおやしき街。京町どおりにあった「丹波亀山城惣構」の説明がきに「上級家臣団のやしきが配された三の丸をかこむそとぼり」ってかいてあっただけど、古世門からきたがそとぼりのなかにあたっとって、まさに上級家臣団のやしきが配されとったっていうふんいきがただよっとる。
ひだり、ひろいしきちに大本本部があって、ひくいいしがきがずーっとつづく。ひきつづきさかをくだっていっとる。みぎに亀岡市上下水道部のたてもん。
ひだりにほり。しろのうらがわのはばのひろいほり。ほりではあるけど、雑水川(ぞうずがわ)の一部でもあって、こっからみぎにながれて保津川にそそぐ。
ほりをすぎたひだりに「丹波亀山城保津門あと」のかんばん。こいでみっつめの城門の発見だ。ここがきた方面へのでいりぐちで、こっからは城外になる。
〔クニッテルフェルトどおり〕
おおきな信号交差点を左折。クニッテルフェルトどおりをにしにあるいていく。まちなかのとおりとは一転して現代的なとおりだ。クニッテルフェルトってなんだっておもったら、オーストリアにある亀岡市の姉妹都市のなまえだった。
「すみません回送中です」っていう方向幕をだした京阪京都交通バスとすれちがい。みぎおくにイオン亀岡店。すすんで、みぎT字のひだり、みちからほりまでひろばになっとるとこに明智光秀の銅像。銅像をせにT字を右折。きたにあるいていく。とおりのなまえはひきつづきクニッテルフェルトどおり。正面にえきがみえる。さいしょに橋上かいさつをでたとこからみなみにみたのが、このとおりだ。
えきまえロータリーにほどちかいとこまでいったとこで、京都駅いき京阪京都交通バスが発車まちをしとるのを発見。いや、バスで京都駅までいくって時間がかかるだらあに。バスがとまっとるとなりのミスタードーナッツにはいっていっぷく。まちあるきのつかれをいやす。
いっぷくをおえて、さて、駅舎にあがっていかあかっておもったとこで、いちばん線路よりのとこに、京都鉄道起業顕彰碑っていういしぶみを発見。よんでみると、山陰線の京都園部間は京都鉄道っていう私鉄が1899年に建設したもんだった。いや、ほんなはやい時期に一私鉄が、山陰線のこのだいじな起点区間を建設したとはおどろきだ。ただ、なんで老ノ坂とうげをとおらんで保津峡ごえをしたのか、なんで亀岡のえきはしろのうらがわにつくったのか、ってなことは、またしる機会があったらしりたいもんだ。
駅舎2階のみやげもんうりばでくろまめわらびもちと京の九条のねぎうどんをかって、かえりの電車にのる。
◇ ◇
(関係地図)
◇ ◇
(さんこう)
- 乗車記録 - 2020年9月15日、かようび、平日
- ふるい 6:49 → (名鉄西尾線~名古屋本線=岩倉いき急行) → 7:06 知立
〔10.5km、17分、37.1km/h〕 - 知立 7:22 → (名古屋本線=岐阜いき快速特急*1【特別車2号車8B】) → 7:48 名古屋
〔24.9km、26分、57.5km/h、ふるいから名古屋まで1,040円(乗車料金680円+特別車料金360円)〕 - 名古屋 7:58 → (東海道新幹線=新大阪いきのぞみ275号【自由席】) → 8:32 京都
〔134.3km(※営業キロ数147.6km)、34分、237.0km/h〕 - 京都 8:42 → (山陰線=園部いきふつう) → 9:10 亀岡
〔20.2km、28分、43.3km/h、名古屋から亀岡まで5,610円(乗車料金3,080円+新幹線自由席2,530円)〕
- ふるい 6:49 → (名鉄西尾線~名古屋本線=岩倉いき急行) → 7:06 知立
- いぬやらい。|いわせあきひこ|フェースブック|2020年9月20日23:44
- 京のまちやののきしたなんかにようある、ゆるやかな曲線の柵のようなもん。「いぬをおいはらう」っていう意味で「いぬやらい」っていうだげなけど、ほんとはひとばらいのためにやってあるだね。
- 京都鉄道起業顕彰碑 - 2020年9月15日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/09/18
- 『丹波亀山城惣構』の説明がき - 2020年9月15日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/09/17
- 柳町どおりの高砂山だしぐら - 2020年9月15日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/09/17
- 形原神社 - 2020年9月15日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/09/17
- 『丹波亀山城あと、大本天恩郷』の説明がき - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/09/17
- 石田梅岩のおしえ - 2020年9月15日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/09/17
- 性をきわめるための…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年9月17日0:40
- 食后にたんぽぽコーヒーと…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年9月15日12:21
- きょうは、はじめてきたシンパティカリモーネっていうみせで、ごちそうさまでした。
- 主菜にチキンカツの和風オムライス。…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年9月15日11:58
- つけもんがまた絶妙にうまい。だいこんのしょうちゅうづけっていったか。
- 前菜にしろワインとパン♪…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年9月15日11:28
- そうとううまい!
- 丹波のくにってどんな範囲? - あきひこゆめてつどう|2020/09/05
- 明智城のたび - 2020年8月15日 - あきひこゆめてつどう|2020/08/18
- 2020年8月15日、明智城をたびした。電車道中や、ほかにいった可児大河ドラマ館なんかのようすとあわせて、以下に紹介する。
- ちょこっといったとこで、みぎに明智城址説明がき。「1342年、美濃源氏、土岐下野守頼兼(ときしもつけのかみよりかね)が名字を「明智」とあらためて、初代明智家棟梁となり、明智荘瀬田の当地に明智城を築城。1556年に当時の美濃のくにの支配者、斎藤道三とほのこ義竜のあらそいにまきこまれ、義竜にせめられて落城。さいごの城主であった光秀は、しろの脱出に成功して明智家を再興したが、ここへはもどらず」とのこと。1342年築城ってのはけっこうはやい時期だな。「麒麟がくる」じゃあ、義竜(よしたつ)は高政(たかまさ)のなまえでやっとったけど、落城のくだりはでテレビでみたとおりだ。ここの地名は瀬田。
- 丹后のうみ号でいく丹后のくに 【后編】 - あきひこゆめてつどう|2017/06/30
- やま、また、やまをこえて豊岡まで - はしだて3号とこうのとり5号をのりついで - あきひこゆめてつどう|2017/06/10
- 亀岡(まちあるきび=2004.05.15)|まちあるきの考古学
- 山陰道を丹波口から老ノ坂峠をこえて亀岡まであるきました|2013年5月4日
- 亀山城なわばり図